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目貫

目貫

梅竹図(無銘・蝦夷)

商品番号 :MK-082

江戸前期 保存刀装具 桐箱入

150,000円

朧銀地(四分一) 容彫 金色絵(金鍍金)

表/長さ:4.80 cm  幅:2.09 cm  高さ:0.55 cm
裏/長さ:4.77 cm  幅:2.03 cm  高さ:0.60 cm

蝦夷目貫と聞くとなぜか特別な目貫に思えてしまいますが、実のところ特段変わった目貫ではありません。主な材料は山銅や朧銀(四分一)で色絵は鍍金、確かに珍しくはありませんが、材料と着色の組み合わせとしてはあまり使われるものではなく、この類例の少ない組み合わせと蝦夷風といわれるのデザインが一種独特に見えるのでしょう。
本目貫を一見しただけで、すぐに蝦夷目貫だと認識されるデザイン要素は、美濃に似たデザインと抜孔の多さ、少し大きめの体配と地板の薄さ、そして薄い鍍金による掠れた色合いと風合い・・・全部が当てはまるとは限りませんが、本目貫を通してのイメージとしてはこんなところです。画題の構成は複雑に絡み合った梅と竹の枝葉、その中央に大きめの梅の花を一輪ずつ配置しています。表裏目貫を表現するために、表目貫は正面から裏目貫はやや斜めからの形状を彫り、根元の始まりも左右に分けて寄せられ、対としての要点をきっちり抑えており好感が持てます。裏行を見るとかなり薄い地板、型からの整形ですから見所は圧出というより抜孔の処理、表にバリが見えないようにした所作は見事です。足は四分一の角棒で表目貫は欠損しています。後補ではなく最初からつけられていたと思われます。・・・こうして見ると本目貫は中々の作域で、もし本目貫が赤銅地で金色絵だったなら、かなり高級な上手作に見えたことでしょう。
問題は時代で、四分一という材料、型からの整形、角棒の足、括りのない腰の低い形状からみて、江戸前期から中期にかけての作と推測しています。よく、蝦夷となると否応無しに室町期と評する紹介を散見しますが、材料が山銅ならいざ知らず、四分一なのに室町期の極とすることには疑問です。例外?もあるのでしょうが、一般的に四分一が使われるようになったは江戸前期以降のこと。当店は例外という逃げは選択せず、目の前にある普遍的な事実を採用します。その考え方を、夢の無い奴だなあだと揶揄されようがです。

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