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鐔

波頭透図 國永

商品番号 :TB-059

江戸後期 保存刀装具 桐箱入

売約済

丸形 鉄鍛目地 陰透 打返耳 両櫃孔(埋) 

縦:8.23 cm  横:8.23 cm  切羽台厚さ:約0.41 cm  耳際厚さ:約0.44 cm

ほぼ正円の姿に陰透を施した本鐔。画題となっている波頭からは強い意匠性を感じます。同形状の図柄を点対称にレイアウトした構図は、見方によっては昇竜・降龍のようにも映り躍動感があります。地鉄は鉄鍛目地の杢目肌・・・刀の地肌に例えるなら、「大板目に杢目交じり、やや柾心に流れ、肌立つ」といったところ。光にかざすと杢目の陰影が強烈に主張します。いわゆる肌物と呼ばれる類でしょうか。そこへ波頭の陰透ですから、地肌模様は背景としての流水や波間を表しているのだと勝手に解釈してしまいます。造の所作は程よい打返と鉄骨の出た耳、そして透の処理も上手く丁寧な鍛の入念作。しかしこの杢目肌、どうやったのか・・・鍛と薬品で肌を作るとされていますが、ルーペで肌目を見るとかなりザラついた感じ・・・勝手な推測ですが、薬品とは腐らかしの手法の事ではと思ってしまいます。
本鐔の製作者は国永。刀装金工事典には幕府直参の武士で高木氏、杢目鍛の鐔を作り、慰作とあります。趣味で鐔作り、ならばこの杢目鍛も頷けます。しかし、もう一人の国永の記載が・・・こちらは紀州住としか書かれていませんが、日刀保・和歌山支部のHPに作品が紹介されており、造りや風合い、銘振は本鐔に極めてそっくりです。その研究論文では、紀州の刀工・高木国永の銘との共通性、和歌山は木の国と呼ばれ国永の杢目鍛えとの関連性から紀州刀工・高木国永同人とのこと。どうやら刀装金工事典の二人の国永は同人のようです。何のことはない、これで一件落着かと思いきや、ひとつの疑問が・・・実はこの刀工・高木国永、銘鑑では時代が天和頃なのです。天和は江戸前期の終わり頃、刀装金工事典の国永は江戸後期の記載が・・・本鐔を見る限り、デザイン、造込、風合いは江戸後期から幕末の作。江戸前期の作とは思えないのです(もちろん可能性がないとは言い切れません。それなりに鉄骨も出ているし・・・)。考えられるのは代別で、二代目・三代目の国永なら矛盾しないと思うのですが、当店の脆弱な研究力では突き止められません。どなたか、このモヤモヤを晴らしていただきたいものです。

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