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INTELLIGENCE

♮ 入札鑑定

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

前回、入札鑑定における考え方の違いを書きましたが(刀剣ルネサンス019/刀の時代区分・その3)、今年(平成27年)に入って、日刀保は従来から主流となってやってきた入札鑑定方式を重視せず、刀の良さや面白さをよく理解出来る方式にシフトすると正式に会長談話を示しました。私に言わせれば「何をいまさら・・・」という呆れた感じがあります。

刀の良さや面白さを理解する一つの方便として入札鑑定があるのだから、この入札鑑定を効率よく、上手に運用するのがポイントであり、入札鑑定が本来の刀の良さや面白さを阻害するかの如き発言は、厳に謹んでもらいたいと思います。入札鑑定は要は方便なのです。

 

確かに戦後は入札鑑定会で、良い成績をとるため、あらゆる本に所載の刀の特徴を覚え、揚句の果てには付属の鎺・彫刻等を克明に記録したものを作製し、全国大会においてもそれを駆使してなにがなんでも天位をとるという傾向が強かったのです。面白いことに入札刀が再刃であろうが、偽物であろうが、全くおかまいなし。本人曰く「俺は他人が当たらないのを当てた」と公言し、天位をもらって自己満足。こうした情けない態度を日刀保は注意もせず、本人も俺が一番の目利者と勝手に自負して恥じない状態に育て上げたのも事実。

こうした人達の頭の程度も“おそまつ”ですが、そうした傾向を尊ぶ風潮を防止しようともしなかったのは、戦後刀剣社会全体の罪です。

 

今の日刀保の執行部は本当の研究会の大事さや実際の難しさが全くわかっていない様です。わかっていたら学芸員が出張する地方支部研究会で同じ刀に全く同じ解説はさせません。研究会に集る人達のレベルは区々です。それなのにマニュアル通りの同じ文言を喋ってしまう愚は絶対にやってはいけないし、やれない筈です。それをいとも簡単にやってのける学芸員も如何なものでしょうか。会長も学芸員と同行して、刀の説明や質疑応答をするという事を率先励行しないと、先の会長談話も単なる空念仏に堕してしまい、何の効果もなくなります。

今少し、在野の人達の意見も真剣に聞くべきであろうと痛感します。因みに、刀の本当の良さや面白さを理解してもらうのは並大抵の事ではないことを、今一度再認識して頂きたいと思います。
(文責・中原信夫)

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