中原フォーラム HOME
INTELLIGENCE

♮ 一振の追憶 その12(剣竜子貞晴)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

短刀 銘
剣竜子貞晴

刃長/六寸八厘、反/三厘、平造、行の棟、中心は生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
総体によく詰んだ綾杉肌で整然とする。
[刃文]
直刃で小沸がよくつき、総体に綾杉肌にからんだ所作が頻りにあらわれる。
[鋩子]
先は小丸で返は殊に深く、返先の匂口はキリッと締まる。

この短刀は私の旧蔵でしたが、昭和五十四年の初頭に、知人に依頼して売却してもらいました。どうしてかというと、昭和五十三年七月二日に師・村上孝介先生が亡くなられ、その後、先生の事務所を整理・閉鎖のため昭和五十三年秋過まで、その仕事に忙殺されましたが収入はなく、つまり金欠病だったからなのです。おまけに機関誌『とうえん』発行のため印刷費の工面等もあり、本当にお金がありませんでした。

私が個人的に研究会を持ったのは昭和五十三年十二月からで、それ以後、毎月現在に至るまで続行させていただいています。そして昭和五十四年二月に『とうえん』創刊号を出しましたが、本刀はその時の掲載刀です。

 

本刀は昭和四十九年後半と思いますが、(ひょっとすると昭和五十年初頃)村上先生が大阪の某刀剣商から薄錆身で購入されて、すぐに研磨に廻され、そして出来上がったのを私が購入したのですが、問題はその値段でした。確か二十二万円位であったと記憶していますが、その値段は薄錆身の値段で、研代は入っていなかったのです。つまり、研代は村上先生に払ってもらって、結果的に私が知らん顔して踏み倒したという事。

 

その後の事は前述の通りですが、私が本刀を処分して手に入れた金額は確か二十万位。知人に頼んで処分したので行先は全く聞かなかったし、聞く事もしませんでした。それにしても研代の踏み倒しは今だに気になりますが、この事は本サイトにも既述したのですが、四十年ぐらいを経て、何と本刀が私の目の前に姿を現したのです。その時は本当になつかしく、そして申し訳ない気持が出てきたので、贖罪に近い気持で本刀を購入させていただいたのです。

 

剣竜子貞晴は月山貞吉の門人で大坂の刀工。永口姓で、大坂城の近く、生玉に居住していた様です。活躍したのは幕末であり、比較的、短刀の作をよく残していますし、刀も刻印を打ったものもあり、その作風は師の通りでしょう。殊に短刀の作に綾杉肌がよくみられるようです。
(文責・中原信夫)

ページトップ