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INTELLIGENCE

♮ 一振の追憶 その20(備前国住長舩忠光作)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

脇指 銘
備前国住長舩忠光作
文明拾一年二月日

刃長/一尺七寸八分七厘、反/五分五厘、本造、行の棟、中心は生で孔は二つ。
 
 
[地肌]
板目肌に杢目交じりで、鎬地に少し柾目肌が交じり、乱移が出る。
[刃文]
匂出来の直刃で小五の目、小乱が交じり、焼幅はかなり深目。刃中に小足、匂崩が出る。
[鋩子]
直状でかなり深く、先は表が大丸風で裏は小丸。返は深目。

本刀の造込は本造ですが、刀身は鎬が高く鎬幅が広い造込なっています。これは後世になって研磨によって刀身が変形したものではありません。つまり、中心を見ていただくとすぐわかるのであり、本来の造込は中心、殊に在銘の部分に完全に残されています。本刀は、表裏に在銘ですから、中心に完璧に近い本刀の本来の造込が残されているという事に気づいてほしいのです。

 

刀身、殊に錆際から上は研磨によって変形していきますが、上手な研では極力、鎬筋を曲げる事なく通していきます。これは気の遠くなる様な細かい作業であって、研は「面」で研ぐのではなく「点」を多く作って整形して研いでいくのです。そうしないと、急速に刀身は減って大きく変形していくのです。

 

さて、本刀を見ると堂々とした刻銘であり、刀工の俗名はありませんが、見事な刻銘です。加えて、刀身に彫刻が全くないことも極めて貴重です。しかし、これから後に彫刻が施される可能性もありますが、出来るだけそうならない様に保存し、楽しんでいただきたいと思います。

因みに、彫刻があった方が見栄えも良いと考える人が多いのですが、私はこうした捉え方には絶対反対です。つまり、備前物に彫刻があっても彫刻者の名前は全く見られず、したがって、そうした点からは、備前風のデザインであれば詮義は全くしない傾向が強いのです。したがって、他国もそうですが、備前物にも後彫が一杯あると見るべきです。

また、備前物でいえば、俗に云う末備前はかなり評価されていますが、応永備前と末備前の中間に位置する寛正備前は、決して高い評価ではありません。ただ、本刀は寛正備前に入りますが、もっともっと評価されて然るべきであると思います。本刀は今から35年程前に拝借しましたが、今一度拝見したいと思っています。
(文責・中原信夫)

 

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