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♮ 下緒の効用(※転載)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

以下の二つの文は平成5年12月の『とうえん』誌と平成6年2月の『とうえん』誌に既載のものであるが、改めて読者の皆様に参考にしていただきたく、故・名和弓雄先生の原文内容を極力歪めないようにしてさらに読みやすくして、ここに転載する事にしました。二つの文の著述者・名和先生は古武術宗家・甲冑の鑑識も高く、十手等の研究と収集、時代考証の権威で有名であり、その収蒐品は明治大学に収蔵されていると聞いています。
(平成二十九年十二月三十日 後学・中原信夫 記)

 

下緒の効用

名和弓雄

 

日本刀の拵に、もし下緒が結んでなければ、訪問着に丸帯がないようなものではあるまいか? 然し下緒は装飾用のものではない。

織田信長に十八回面接し対談した、宣教師ルイス・フロイスの有名な著述である『日本覺え書』は、今日我々日本人が読んで驚くほど、詳細的確な観察の内容の報告書である。然し見当違いが無い訳でもない。

その中の第七章、日本人の攻撃用、防禦用武器についての第六項に次の記述がある。

「われ等の剣には手袋が吊るされている。彼らのには、何の役にも立たない紐が、ぶら下がっている」(松田毅一、Eヨリッセン訳)。

古武道の専門誌に、対談記事が写真入りでのっていた。演武の場合、下緒は邪魔なので鞘からとり外して、ふところに入れます・・・と、お二人が、口をそろえて言っておられるのを拝読して、古武術の伝承とは、流儀によって、いろいろ異るものと知った。

 

さてさて、話は百八十度かわって、

筆者が十代宗家を継承している、正木一刀流抜刀術では、下緒の効用を重要視して、種々の伝承が残っている。

また、古老の聞書と、古文書による、筆者の勉強では、下緒の効用と利用法を、「下緒七術」と称して、武士のたしなみ、心得としている。

下緒は決して、装飾用のものではない。

非常の場合、下緒は無くてはならぬものである。

 

第一に、下緒は大小の刀を帯に固定して、敵に抜きとり奪われぬ要慎のものである。

背後から組みつかれ羽交い締めにされて、他の一人に大小刀を抜きとられ奪い去られぬという保障は全くない。

他家で、大小を鞘ごと抜きとって、右脇の床上に横たえ、その左脇に正座している時、背後から忍びより大刀を奪われぬという保障はない。鞘から伸ばした下緒を二筋三つ折りにして右ひざ下に敷いて座るのが心得である。

第二に、尾張徳川家の御畳奉行、朝日文左衛門の日記『鸚鵡籠中記』中に、文左衛門自身が、名古屋の町辻で演じていた猿楽に見とれて、脇指の中身を抜き奪われてから気付いた・・・ことが記述されている。

刀身(中身)を抜きとられぬ要慎のための、下緒のとりかたは、仙台伊達藩と、紀州徳川家の両藩に、刀柄の鍔元近くを下緒で二巻きしておく結びかたがあった。

第三に、非常の場合に刀鞘を帯に固定する必要が生じる。

 

昔の侍用の角帯は、現代のものに比べると幅もひろく、重ねも厚いので、大小の刀を佩用すると、現代の角帯より安定がよいが、大小の刀は重量があるため、走ったり、はげしく動作すれば、刀の位置や鞘の角度や、鞘の表裏が動き変って邪魔になるので、位置、角度、表裏を、下緒で固定する必要が生じる。

大小を振るっての斬り合いになったり、居合抜刀術の場合など、前半(まえはん)に佩用した脇指の柄は、たいへん邪魔になる。

肥後拵では脇指の柄前を非常に短くしたりしているが、居合や抜刀術では、脇指を左後方に移動させ固定しておく方法が普通である。以上述べ来たった様に、戦闘になれば、下緒は絶対に欠かせぬ部品となる。

刀身、柄前、目釘、鍔に次ぐ必需部品であると、筆者は思っている。

 

下緒の長さも問題にされる。

“忍び”の佩用する、「忍び刀」の下緒は長い寸法の丈夫なものを付けると言われている。

また、薩摩の薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)の薩摩拵の下緒は長いと聞いたことがあるが、当時そのままの遺物が見られないので、長さは不明である。

古老の聞き書によれば、下緒の長さは、所持者の体格によって各々異なっていて、決して一定ではなく、心得ある武士は、自分の使用する佩刀の下緒は、注文して作らせたという。

では注文する場合、下緒の長さの算出法は? いかがするのか? というと、

手貫緒(てぬきお)と、両襷(たすき)を加えた長さを下緒の長さとする。

手貫緒も、両袂をたくしあげる襷も、各人の体格によって長さが各々違ってくるのが当然である。

そのため、その人の使う下緒の長さは、手貫緒を切りとった残り分で、両襷が掛けられる訳である。

しかし念のため申しあげておくが、心得ある武士は、下緒を切りとって手貫緒に使用しても、その残りは鞘につけたまま、下緒として、前述したように使用する。

両襷に使用する紐は常に、用意して隠しもつのが心得である。もしその用意が無い場合は、「紙入れ」の中に雁皮(がんぴ)紙 又は“みつまた”の繊維で漉(す)いた丈夫な和紙と、細い真鍮製針金を忍ばせておき、紙こよりに針金を捻りこんで、両襷を手早くつくり用うる秘伝が伝承されている。

であるから、下緒を襷に使用するというのは建前だけであって、実際は斬り合い中に、掛けている襷を、敵に切りおとされた万一のときの、要慎に・・・ということであろう。

 

手貫緒と簡単に記述したが、手貫緒にも、種類がいろいろあり、つける場所、使用方法千差万別である。

太刀、鼻捻、十手、手の内その他ある。

ここでは大小刀の刀鍔にとりつける輪紐状の手貫緒(てぬきお)を指している・・・と御承知ありたい。

ではこの場合の、手貫緒のつけかたを記述しておく。

この場合、三通りのとりつけかたがある。

その一、刀鍔の切羽台の左右に、小柄小刀用と、笄用の二つの櫃孔がある場合は、曲尺(かねじゃく)一尺八寸ほどを下緒から切りとり、鎺の方向から紐の両端を左右の櫃孔から通し、柄前の縁金の刃筋(刃方)の方向にあたる処で、ほどけぬ様結び合わす。

鍔に通した輪紐を刀棟方向に引きあげ、輪を一ひねりして8字形をつくり、上の輪に、手首を刀身の方向から差し入れて刀柄の鍔近くを握る。これが鍔につける手貫緒である。

このような手貫緒の効用は、斬り合い中に刀をとり落さぬ要慎と、斬撃のとき刀身切先が、重量のため余分に流れ動くことなく、腕と直線状になった処でとまり、次の瞬間の挽き斬りの効果を高めるのに意外な効果を生む。たとえ脇指(小刀)であっても、手貫緒を掛ければ、確かな手応えで、刃筋も曲らず、ぐらつかず、ざくり・・・と斬撃できる。  両櫃孔のある鍔は、敵の突(つき)を喰った場合敵刃の切先が孔から入り、指を傷つけられる危険があるし、敵を斬った場合、鮮血が櫃孔から柄の方に伝わり流れこむこともある。

柄が地で濡れると辷(すべ)って手だまりが悪くなる。手貫緒で二つの櫃孔がふさがれば、以上二つの心配は全くなくなる。

その二、皆伝鍔と俗称されている鍔で、大小二つの小孔を、刀棟側の切羽台外に、ならべてうがった(あけた)鍔の場合、この二つの孔に、柄前の方向から、鎺方向に輪紐を通して、両端を結び合せ、その一と同様に柄を握る。

その三、鍔に櫃孔や孔が全くない場合は、輪紐を鎺の元にかけ、棟の方向に引きあげ、一と同じく輪を一ひねりし8字形にし、刀身の方向から柄の方向に手首を入れて柄を握る。

 

下緒を注文する場合は大小の下緒は、手貫緒と、両襷を加えた長さにし、小刀(脇指)の下緒は、右袂だけをたくしあげる片襷と手貫緒を加えた長さにする。

普通、柄巻の組紐と同色、同紋様にすることが多く、礼装用や常の登城出仕用は同色にするよう規定されているが、その他の場合は好みにまかせ、矢羽根紋様や、立湧紋様や紫白金茶の染別け紋様や亀甲紋様もあり、所持者の姓名を織り込んだ下緒も見られる。

組方も、さざなみ、高麗絣、畝打(うねうち)、重打(しげうち)などがあり、厚みや堅さは各人の好みによる。中には丸紐型も見られるし、短刀には蛸足(たこあし)と称する特殊なものもある。

幕末に流行した、突盔拵(とっぺいこしらえ)など、忍び刀などには丸紐の長い下緒も見られる。

 

さて、これで下緒の効用、長さなど一応、記述は終ったようであるが、これからが、大そう繁雑な記述になりそうで、はた・・・と困ってしまうのである。

何故かというと、下緒七術の説明は後述にゆずるとしても、この次には、下緒の結びかた佩用時の掛けかたを述べねばならぬからである。

大小の刀を佩用する場合の下緒の型は、時代により、身分により、藩により、みなそれぞれに異っていたのである。

幕末の京都など、各藩の武士が歩いていて、それらの下緒の掛けかたで、あれは何藩の者であると大体、識別できたものである。しかし大半の型が、わからなくなっているので、古武術の絵や型、古老の聞書、古写真などで、研究する以外には方法がない。しかし幕末の写真は、演出されたものが多く、実生活のスナップ写真が少ないので、全部を、鵜呑みにする訳にはいかない。

この正確な研究には、まだまだ多くの時間を要することと思う。研究家諸先生の総力を結集して正しいものにしたい・・・と思う。

 

下緒七術

正木一刀流十代宗家

名和弓雄

 

大小刀拵の、鞘の栗型につけられる、「下緒」は、現在では刀拵の装飾品のように思われているらしいが、昔時、武士の魂として大小刀が、常時、佩用されていた頃は、必要欠くべからざる大切なものであった。

下緒は佩用時には、大小刀の位置角度を、正しく美しく保つためにも、非常時には、刀を鞘ごと奪われぬためにも、中身(柄と刀身)を抜き奪われぬためにも、必要なものであった。

そのうえ、日常の行動にも、非常時の働きにも、常時携帯している大小下緒の効用は、使い方によっては、はかり知れない有効なものである。

古文書や、古老の聞書や、古武術の伝承中に、武士の心得、常識として、考案され、研究されて、「下緒七術」としてのこっている。

しかし下緒の効用は七種だけではなく、他にも数多く記録され伝承しているので、いずれを採り、いずれを捨てるか?

その選択はまちまちであるし、同目的の技法も古文書により流儀によって、大きく変化していて千差万別、一定していない。

永い歳月、大勢の人の手を経て、今日に伝承されているので、致し方あるまい。

ここに記述する「下緒七術」は、その多くの中の一種であって、忍びの者や戦闘員ではない、極めて普通一般武士の、日常の心得として伝承されたものである。

 

 「下緒七術」

 一、旅まくらのこと

 二、旅宿要慎(ようじん)のこと

 三、戸入りのこと

 四、四方詰めのこと

 五、槍止めのこと

 六、吊り刀のこと

 七、座さぐりのこと

 

以上の七術を簡略に説明してみよう。

 

一の「旅まくらのこと」は旅宿で就寝する時の、大小下緒の効用を、次のように記述している。

大小刀を盗み奪われぬ事と、抜刀したあとの空鞘を暗闇の中でも安易に回収できる事と、追跡・脱出の際に、大小刀を首の胸前左右に吊り下げながら、走りつつ、帯をしめ直し、佩刀できるなど・・・を可能にするために、大刀の下緒と小刀の下緒を結び合わせ、下緒の結び目を中心にして、真一文字に体の下に敷く。

体は右を下にして、前に小刀をおき、大刀を横になった体の左上に横たえ、左手で鯉口近く鞘を握り、右手を柄にかけて、眠むる。

賊が小刀を奪う目的で動かせば、結び目が体側(右下)で動くので目が覚める。

抜刀する時は、左手を足先方向に鞘を引き、右手を頭上方向に引けば抜刀できる。

体を覆った夜着の下でも抜刀できる利点がある。

 

二の「旅宿要慎のこと」は種々な技法があるが、その二三を記述する。

その第一は、敵驚き我目覚むる・・・部屋のしきり襖、障子、板戸などで錠なきときは、寝室の畳を、内側から、しきりの襖などに立てかけ、畳の上部に細釘を打ち、伸ばした下緒の端を釘に結び、他の端を、枕の下に敷いて眠むる。賊襖を開けば畳、賊に倒れかかり敵驚き我目覚める。

その第二は、足払い・・・寝室出入口の左右、床からの高さひざ下程に、細釘二本を打ち、横一文字に下緒を張って眠りにつく。

賊忍べば、下緒に足をすくわれ、室内に転げこむ。横臥したまま抜刀し抜討ちに斬る。

その第三は、幕張り・・・油紙は雨用として旅の必需品で、必ず携行しているものである。鴨居か長押(なげし)に細釘を打ち下緒を張り渡し、油紙を掛け吊るして、部屋を二分する幕を張る。出入口に遠い奥の方に床を敷き眠る。

敵(賊)が忍び込んでも、油紙の幕で内部が見えず、油紙に触れれば音を立てる。

内部で抜刀して待ち伏せても、鉄砲の火縄に点火しても、敵には見えないので、手出しができなく、やむなく退散するものである。

 

三の「戸入りのこと」は木戸や入口をはいるときの心得である。

大きく開かれた大扉や門戸に出入する場合は、四辺の状態が見渡せるし、たとえ門扉の陰に伏兵があっても、何とか応待できる。

不意の襲撃で、斬殺された場合、所持した佩刀の鯉口が切られていないと、士道不覚悟といわれ、家は断絶するといわれている。

江戸期には、大門や大扉の横につけてある「くぐり戸」や「木戸口」は、大門、大扉を閉じたあとの夜間の出入りのためのものである。夜間に、くぐり戸を通り抜ける場合、物騒な気配が、いささかでも察知されれば、伏兵が抜刀して待ち構えている事を想定して、出入するのが、武士の心得であった。

「戸入りのこと」は、まず腰の大刀を鞘ごと抜きとり、下緒をほどきのばして左手で端を握り、大刀を左肩から背中に背負うような形状に下緒で吊るす。

大刀の柄が、左横顔の耳のあたりに、鍔が左肩のあたりにくるように刀をかつぐ。

木戸の右側に殺気を感じた場合は、右肩に下緒をかけて吊る。この場合は大刀の柄は、右横顔の右耳のあたりにあり、鍔は右肩のあたりにくる。左側が死角で、殊に危険である。

次に小刀を抜き、柄を握った右手の拳を、へそのあたりに、刀身を左向けに水平に構える。左方から斬りかかる敵は、そのまま左に突いて刺殺する構(かまえ)である。もし右方から斬りかかる敵があれば、右手に抜き持つ小刀を、右斜上に振るって、敵の首筋か顔面を斬り払う構である。

攻撃される面積を小さくするため、できる限り姿勢を低くし、呼吸を整え、敵の斬りかけに、充分対応できる心構えと形で、油断なく入るのである。

 

四の「四方詰めのこと」は居る場所の四方が狭くて、大刀を横にも斜目にも抜けぬ場合、ひそみ隠れる場合など、非常の場合もあるし、そうでない日常の場合もあり得る。

例えば、旅宿や屋外の厠(雪隠、後架、手洗、現在のトイレ)は、帯刀して入り、用を足すのは困難であるし、内で抜刀しようにも柄頭、鐺が前後につかえて、長刀は抜けないものである。

では厠の外に、大小刀を置いて丸腰で入るのは、盗まれる心配もあるし、抜刀した敵に襲われるのも困る・・・「四方詰めのこと」は、このような場合の武士の心得である。

自宅や、安全が保証されている厠には、刀は持ちこまぬ。侍屋敷の厠近くの壁には、刀掛が作りつけになっていて、日常佩用している小刀も、刀掛にかけて厠に入る。

しかし物騒と察知すれば、油断なく、大刀を持って入る。

丸腰で厠で刺殺されれば、士道不覚悟と、笑われる。

物騒と思われる厠に入る場合、袴や小刀は外に置いたままでも、大刀だけは持って入る。しかし武士の魂、床においたり、壁に立てかけては、汚れるようで困る。

大刀の柄を右手で握り、現代人が鉄砲をかつぐように、鞘の刀棟の方を右肩にあて、四十五度程度の傾斜でかつぐ。

下緒は、ほどき伸ばして、その端を口にくわえておく。

厠に入り、入口の方に向き、左手で戸をしめる。侍屋敷の厠は、金隠の衝立板が、入口戸の方につけられている。  裏長屋の共同厠のように横向きになったり、町屋の厠のように、奥に向く作りになっていては、金隠の名称は成り立たぬ。

万一、厠の外に異変が察知された場合は、大刀を右肩にかついだまま、左手を添えて、鯉口を切り、抜刀する瞬間、柄を握った右手を頭上高くさしあげ伸ばせば、刀鞘は重みで背中にそって辷りおち、一瞬で抜刀できる。

もし敵が戸前に近づく気配を察知すれば、拝み討ちに敵の真甲(真っ向・まっこう)を、厠の戸と一緒に、斬りさげることができる。

余裕が生じたなら、口にくわえた下緒で、鞘を回収し腰におさめる。

抜刀直前、鯉口を切る余裕のない時は、立上がる時に、刀の柄頭を、天井なり、鴨居なりに、強く打ち当てれば、鯉口は切れる。

 

五の「槍止めのこと」は下緒を使って、敵の槍柄をからめ、突くことも引くことも出来ぬように仕向け、槍を奪い取る方法である。

槍は恐ろしい威力をもつ攻撃武器であるから、古来、槍に対抗する技法は、いろいろと研究されてきた。

槍止め・・・は、下緒の特性を利用して、恐ろしい槍の攻撃を喰い止め奪うという技法である。

但し、この技法は敏捷な体捌きで、敵の繰り出してくる槍先を、右か左にかわし避けることが、先決条件で、刺されれば万事終了、もしかわすことが出来た場合は、槍を奪うことが可能である。

敵が槍・・・と見れば、大刀を鞘ごと帯から抜きとり、鞘の下緒をほどき伸ばし、下緒の端を、抜きはなした大刀の柄の鍔元に強く結びつけ、刀柄を左手に握り、鞘の栗型と鯉口の間を右手に握る。

柄と栗型を連結する下緒の長さは、肩幅よりやや長い程度が適当である。

右手に握る鞘と、左手に握る刀身、敵に対する構えは、左右とも晴眼にかまえるか、左右とも水平に敵に向けて突き出して構えてもよい。

敵の繰り出した槍先を、左の心臓部に受けると危険なので、右足を大きく前に踏み出して、右半身をつくり、間合(まあい・距離)を充分にとる。

体が居付かぬよう、両膝に屈伸の余裕を持たせ、敵が槍を繰り出したら、突端に、左に躍び避けて、槍先を右体側に捌きかわす。

流れた槍の太刀打ちまたは柄の部分を、右上膊(肩)と右側脇に強くしめ押え、素早く、右の鞘と左の抜身を、槍柄の下で、持ちかえ(交換)る。脇をゆるめ、右手の抜身と左手の鞘に連結した、槍の柄を一巻きまき搦めた下緒を両方に、ぴんと張る。

これで、槍は突いても引いても自由には動かない。敵が槍を手許に繰り込もうとするときを狙って、下緒を少しゆるめ、そのまま敵の手元にとびこみ、右の抜身で突くか払うかすれば、敵の槍を、奪い取ることができる。

 

六の「吊り刀のこと」は  土塀や板塀など、垂直にたちふさがる障害物を、乗り越える方法である。

まず、鞘の栗型に結んだ大刀の下緒を、ほどき伸ばし、端を口にしっかりとくわえる。

乗り越えようとする塀外の地面に、刀の鐺を突きさし、柄頭を塀につけ、大刀の鍔と柄頭で、刀を塀に立てかける。

片足を鍔にかけ、他の足で地面を蹴って、はずみをつけて体を上に浮かし、鍔の上に片足で立ち、両手を上に伸ばして塀につける。

次に鍔にのせた足で鍔を蹴って、他の足と両手で塀の上にのぼり、塀をこえる。

塀上にあがれば、口にくわえた下緒を手繰り刀を吊り上げ回収する。

忍びの者は、草鞋の裏に辷りどめのスパイクを結びつけ、両手に「かすがい」や「手鈎」をもつので、高い塀や壁を容易く登り降りする。しかしこの場合の吊り刀は、兵法の常識であった。

 

七の「座さぐりのこと」は  暗闇の座敷中に、伏兵ありと察知した場合は、この「座さぐりの法」を用いて、暗黒の中を静かに歩き進む。

まず大刀を。鞘ごと帯から抜きとる。

栗型の下緒をほどき伸ばし、左手で鞘を持ち右手で刀柄を握り、左手拇指で鯉口を切る。

静かに抜刀し、刀身の先、十糎(五寸)程を鞘中にのこして、そのまま前方に突き出して水平に保つ。

次に下緒の端を、口にしっかりとくわえ、下緒を、ぴんと張っておく。

そのまま前方の暗中を、鞘の先でさぐりつつ、静かに進む。

もし、鞘の先に何かが触れれば、障碍物か伏兵か、咄嗟の判断で、避けるか、または、鞘をわずかに、しゃくるように引き、鞘を外し落して、暗中を続けさまに、二、三度突いて、敵を刺殺する。

暗闇の座敷や廊下を進むときは、なるべく壁にそって、はって進むような、低い姿勢が好ましい。敵から攻撃される面積が小さくなるし、鞘でさぐる位置は、敵の足にふれればよいからである。鞘は下緒で回収する。

 

以上七術の中に入れていないもので、下緒の利用法として、古文書中にあるものは、敵を捕えた場合に、早縄として使用するというものや、手傷を負った場合の血止め用として心臓に近い箇所を縛ったり、種々な使いかたが伝承されている。

しかし下緒七術で、心得ておかねばならぬ大事な事が一つ存在する。  普通、刀鞘の栗型は、せしめ漆と麦粉をねり合せて粘着力を強くした「麦うるし」で、鞘を切り込んだ箇所にはりつけてある。

しかし下緒を強く引けば離脱することもある。下緒七術を武士の心得とするならば、鞘の栗型は「づく栗型」に、とりかえて佩用するのが心得であろう。

「づく栗型」と呼ばれる栗型は、金属性(真鍮製、銅製、洋銀製、赤銅製、鉄製)のもので、鞘を帯金で巻き、その帯金に同じ材料の栗型が溶接(鍜接)されている栗型を呼ぶ。下緒をいかに強く引いても、栗型がはずれとれることは絶対にないものである。

(平成五年十二月一日 記述)

(文責・中原信夫 平成二十九年十一月五日)

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