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♮ 一振の追憶 その26(肥前国住近江大掾藤原忠広)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

刀  銘
寛永十八年七月廿二日
肥前国住近江大掾藤原忠広

刃長/二尺三寸三分弱、反/六分五厘弱、本造、行の棟、鎬は高く、中心は生で孔は一つ
 
 
[地肌]
小板目肌が殊によくつみ精美な感じとなる。
[刃文]
小沸出来で沸匂の深い直調となり、少し弯心がある。匂口は帯状となって、二重刃、砂流、金筋が所作し、小沸が凝って小足状となる所あり。
[鋩子]
直状で深く、先は掃掛(はきかけ)状となって、返はやや深い。

本刀は諸本に所載のものであり、二代忠広が近江大掾を受領した日での刻銘となっているのが貴重です。

さて、新刀の一般的な刀姿として、私は肥前刀をモデルケースにしているとしたし、また、そうしなければ新刀期の各々の刀姿の特徴は語れません。その理由は、肥前刀の現存刀の多さが他国刀工より圧倒的に多いからです。

その中でも二代忠広は六十年以上の作刀歴があり、本刀はまさにその始まりの記念作と位置づけられます。

 

因みに、本刀の刀姿としては、反が深く、先細りの姿で、切先(中切先)がやや延び心となる姿であって、典型的な寛永の姿として捉えるべきです。

従って、新刀を論じるならば、肥前刀を研究し、その良さを認めるべきが前提であり、多く現存するからという理由で毛嫌いするのは完全な誤りです。

 

また、刀の値段も、新刀では二代忠広の直刃の刀が基準となっている傾向が強いようです。したがって、国、流派、時代の違いと共に、現存刀の多少などでプラスマイナスが行われています。これは刀社会の最も整備された歴史でもあります。古美術品の中で刀が一番わかりやすい社会であるのに、現実的には必ずしもそうなっていないのが不思議?・・・。
(文責・中原信夫)

 

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