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INTELLIGENCE

♮ 一振の追憶 その27(近江大掾藤原忠広)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

脇指  銘
近江大掾藤原忠広
寛永二十年二月吉日

刃長/一尺二寸三分五厘、反/二分、片切刃(表:切刃、裏:平)造、中心は生で孔は二つ、行の棟
 
 
[地肌]
小杢目風の小板目肌が殊によくつみ、少し肌立ち気味。
[刃文]
小沸出来、五つの大きな乱となる弯乱で、沸匂が深く、刃文の頭(焼頭・やきがしら)より谷の匂口が深く、谷の匂口がプッツリと切れてしまい帯状の匂口となっていて、そこに砂流、金筋が頻りに所作する。又、小沸が凝(こご)って小足となる。
[鋩子]
少し弯状となって、先は掃掛心となり、返はやや深い。

片切刃造というのは、古い時代には至って少ないものであります。この様に書ますと、貞宗がある・・・などと言う人がいますが、無銘は全くの論外。

新刀では堀川一派に多いし、下坂一派にもありますが、肥前にあるとは余り喧伝されない傾向にあるようです。ですが、堀川・下坂・肥前となると、古作の写物が得意な一派と重なります点を考えるべきです。

 

片切刃といっても、切刃が表にくる(表切刃)のと裏にくる(裏切刃)の両様があり、切刃の反対側は平造・本造・菖蒲造・鵜の首造・冠落造と色々とありますが、どういう理由で片切刃にしたのかは、定説はありませんが、表裏が違う造込、つまり表裏の厚さが違うので温度管理や淬刃は極めて難しく、高技倆の刀工でないと出来ないことは確実です。この点から、私は切味の理由から片切刃にした特注品と考えています。いづれにしても技倆の高さは、新刀期のトップクラスが肥前の二代・近江大掾忠広であります。
(文責・中原信夫)

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