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INTELLIGENCE

♮ 清麿を基準とする愚

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

私は世間の大多数と思われる清麿好きの人達や先生方、刀剣商の殆んどの人達の尻馬に乗って清麿を説明する事は大嫌いです。もちろん、戦前に藤代義雄がその基を作ったとも言われている清麿愛好ですが、藤代義雄が讃めようが、出来の悪いものや、よく出来た偽物の清麿まで褒めようという気は毛頭ありません。

 

さて、清麿研究で世評が高いのが『清麿大鑑』です。この本を読むと、押型の印刷方法が切抜版にしていて、不正確な押型となっているので、未見の作の中心研究が全く出来ませんし、コピーを取ろうとしても、本の装丁の関係で上手に正確にコピーが取れません。ただ、拡大写真は研究面ではかなり役立つので、これは良い点です。因みに、専門書・研究書は出来る限り多くの情報・資料内容を集約し、後世の研究のためになるように、実用本位を心掛けるべきです。素人が見て豪華な装丁や見栄のみを求めるべきではないと私は考えます。

さらに言うなら、同書に「清麿は上手であり、こんな清麿(天保十五年紀の正行銘)を持てるのは天下の幸運である」と書いた箇所がありますが、全く余計なお世話です。世の中に良い刀は清麿だけではありません。当時、清麿ぐらいの腕の人はいたはず。確かに清麿は上手いと思いますが、全て清麿ありきでは、公平・正確な判断は不可能です。単なる思い込みでの好き嫌いで刀の評価をしてはいけません。

 

では、次に藤代義雄門人であって、戦後の刀剣商として有名である、故・柴田光男氏の清麿に対する見方を示す良い資料があったので、欠席裁判となるかもしれませんが・・・。

『刀剣趣味』(昭和37年4月号)から引用してみます。ではAを見てください。この押型と文章は紛れもなく柴田光男氏のものです。今の人達には全部読解出来ないかもしれないので、私が訓んでおくと・・・右から

「五号刀 山浦寿昌 大刀 刃長 二尺五寸九分五厘 反り五分 地杢目。五ノ目乱砂流し盛ん、弟清麿に変らぬ出来ばえ 仙石家傅来大小の内 遠藤利平氏蔵」となります。

では次にBを見てください。同じ『刀剣趣味』(昭和37年12月号)より。これも文章を訓んでおくと・・・

「参考刀(壱)源正雄 嘉永年号 刃長 壱尺壱分有之 反 六厘 地鉄小板目 刃文 五ノ目乱れ 足好く入り砂流し盛ん、清麿に変らぬ出来栄え 斉藤一郎氏蔵」となります。

 

この2つの資料で柴田光男氏の山浦一門に対する見方が如実に出ています。Aでは「弟清麿に変らぬ出来栄え」と注記して、Bでは「清麿に変らぬ出来栄え」としています。

つまり、清麿を基準として、兄の寿昌(正雄)である真雄の出来を端的に述べています。私はこのA・Bを見て、全てが清麿が原点というか、基準というか、源流というか、全て清麿ありきで固まっています。いや、固めてしまっている点に大いに違和感と不思議さを感じるのです。

清麿は兄の真雄に習った後は独自の修行をしたとされ、真雄は浜部一派の河村寿隆門人とされていますから、清麿は寿隆の孫弟子筋にあたるとみるべきかもしれません。現に、正行銘では浜部そのものの作刀があって、世に浜部を嫌う人達でも正行銘の純浜部作風の作刀は大いに歓迎し、極めて人気も高いのです。これはどう考えても?、不思議、意味不明です。こうした点からも、清麿を一番世に出したとされる藤代義雄門人の柴田光男氏でさえも、A・Bの如き意見を述べています。

 

私はこのA・Bにある刀剣商・柴田光男氏の注記内容には反対で、清麿から兄を見ています。これと同じことは、例えば井上真改から初代国貞を見ている見方と全く同じであって、古いものから新しい次のものを見なければ、理屈は成り立ちません。真改の親が初代国貞とは絶対に考えてはいけません。初代国貞の子が真改であるという厳然とした、順当な、自然な見方をしなければいけないのです。

私は“キヨマロ”を持つより、兄の真雄を持ちたい。まして、?のつく「ギヨマロ」より、真雄・信秀が好きです。単なる清麿盲信者には、いいかげんに目を覚ましてほしいのですが、仲々そういう訳にはいかないでしょう・・・。

 

さて、最後に前述の『清麿大鑑』ですが、近頃、再版されたようですが、著者は確か藤代系の研職と思いますが、この著者の解説を読むと何を言っているのか、訳がわからない迷文句の羅列。この著者は不出来の匂口・刃文でも清麿なら許される、許すべきであると言っているのと同じで、これではアバタもエクボです。左文字(大左)を狙ったのか、志津を狙ったのかは本人に聞いてくれといいたい。著者は既に故人となっていると思いますので、あの世で清麿に聞いているのでしょうが・・・。

さらに著者のゴマスリは「刀剣博物館長・文学博士本間順治先生は近世刀剣界にその比を見ない大権威者。今更喋々の弁は烏滸の沙汰である」(中略)「本間先生推賞の清麿中の逸品にて、先生著「名刀図譜」に所載されている」としていますが、因みに、“烏滸(うこ)”とは「笑うべきばかりにおろかなること」という意味。つまり、誰でも知っている認めている大権威者であると大ゴマスリをしているのです。ゴマスリもここまでいけば大したものです。清麿級の逸品ゴマスリでしょうが、他人が推賞しなければ名刀と言えないのでしょうか。本間氏が賞賛しなくとも著者の考え方を述べるのが、著者としての役目と特権です。では他人がもしも偽物と言ったら、または逸品としなければ著者はその意見に従うのでしょうか。著者オンリーの見解を問うのが著書なのです。この辺の考え方が、まず清麿ありき、本間氏ありきであり、どうみても基が狂っています。さらに言うなら、私は師・村上孝介先生と意見が別れても妥協する気はないのであり、特定一個人のみを攻撃しているのではありません。

 

因みに、私は普段は悪筆ですが、こうなったのは柴田光男氏のA・Bの様な字に感化されたためです。書こうと思えば正確な(上手ではない)字は書けるので、ご存知でない方にお知らせしておきたいと思います。もっとも、余り褒められた字体ではありませんが・・・。
(文責・中原信夫)

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