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♮ 一振の追憶 その31(国安)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

刀   銘
国安

刃長/二尺二寸八分、反/五分弱、片切刃造(表=切刃造 裏=本造)、真の棟、中心は生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
小板目肌に杢目交じりで、棟寄りは柾目肌。総体に肌立心となる。
[刃文]
小沸出来、総体に箱状の大乱に尖り刃や不定形な乱が交じり、刃中に足が入り砂流が頻りに所作する。
表裏揃い心の乱となる。
[鋩子]
浅い弯となり、先は小丸で返は深い。棟焼が点々と出る。

本刀は堀川国安で昭和十四年に重要美術品に指定されているもので、本刀の白鞘には「太刀かたり語りつくして立上る二人の影は秋草の上」と和歌の鞘書があります。

この鞘書は内田疎天ですが、今の人達はこの内田疎天の名前を知らないでしょう。戦前に多くの刀剣書籍を著述された人で、和歌などをよくたしなまれた方で、福永酔劍先生の師匠筋の人でもあり、この事は40年程前の刀剣柴田の『麗』にも福永先生が書いておられます。

 

堀川国安はどういう訳か二字銘しかないようであり、年紀も経眼したことがありません。堀川国広の弟とされて、他に国指定品もありますが、一般的に現存刀は少ない。国安の作品が少ないのは兄の代作を主にやっていたとも考えられ、同じケースは現代刀匠にもあります。

 

作風としては主に乱刃をやっているようですが、直刃もあるといわれますが未見です。なお、本刀の中心ヤスリは右上りですが、一般的に右上りのヤスリは左利という説があります。しかし、私はかなり否定的です。左利用の道具を別に作るなどは無駄でしょう。右利に矯正すればいい事です。江戸時代に果たして左利がいたのか、そして、その左利を許したのかを考えるべきです。昔の映画の丹下左膳はいませんので。

江戸時代は戦後と全く違って、整然とした合理的な生活・習慣であったとされます。
(文責・中原信夫)

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