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INTELLIGENCE

+ 返角(かえりづの)について〜その2

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

前回は返角の状態を打刀拵の一例をあげ、総体的に考えてみたのですが、本当に拵の返角についてでさえ、確実な考え方は全くといっていい程に伝わっていないのです。ほとんどの愛好家もわかっている、または、大体わかっていると勘違いしているのです。従いまして、本欄を拝借してお願いしたいのは、昔(江戸時代を含めて以前)の服装、例えば帯とかを研究しておられる方を極力、御紹介していただき、できればその研究と拵の話をドッキングしていけば、かなりの成果は出てくるはずです。今迄にこうした考え方がなかったのが不思議で、これらがなかったために、確実な見方ができなかったと思っています。さらに、こうした分野で共同研究をすれば、昔からの伝承、伝聞にもちゃんと当たっている点があり、それを証明できると考えています。

 

さて、B-1を見てください。この脇指拵は既述の柄がついた拵です。B-3も含めて見ていただければ、前稿で既述の通り、返角の先端がどの方向に向かっているか、そして鞘のどの辺に接着してあるかがわかります。

B-2を見てください。返角と鞘の表面が、かなり間隔が離れています。実測しますと約3.5㎜ですから、前回のAの打刀拵の返角より、かなり立上の大きい状態といえます。また、返角の接着場所は鞘の幅の中央よりかなり下で、鞘幅の1/3より下の方(棟方)にあります。

 

通説によれば、こうした返角の状態は古い時代とされていて、この3.5㎜の間に、この鞘の製作当時の流行した帯が挟み込まれていたと判断されます。また、この脇指拵の鯉口と栗型の距離が3.5㎝となっていて、かなり短く、指二本が栗型と鯉口の間に差し入れられれば、その瞬間に鯉口は切れている状態となり、時代劇のように左手親指で鐔を押さなくとも鯉口はすでに切れていることになります。つまり、武士が左手を鯉口と栗型の間に差し込んだ瞬間、右手は柄にかけ抜刀はスタンディングバイとなります。それまでは単にスタンバイ状態であることを先輩から教わりました。

以前といっても、もう三十年以上も前、某刀剣誌上で、S氏とI氏がこの点について論争した事がありますが、この二人とも、全く拵がわかっていない、ただの頑迷な迷惑人でした。S氏は鐔の大先生とされ、I氏は刀剣商で業界紙発行人。こうした人の流れをくむ御弟子さん達が、師の説を再検討することも全くなく、また、その意思も全くもたないまま、屋上に屋を重ねる論を堂々と主張するし、その人達が、現今の小道具、拵愛好家のリーダー、先生とされているのですから、私にはお笑い種にしかなりません。

 

さて、この脇指拵Bは、恐らく既述の打刀拵(少なくとも鞘は…)より古いとみるべきものであると推測しています。 それにしても、返角の形状(全体)にしても様々な形状がありますが、何とかアウトラインのみでも整理し、類別できないかと考えていますが…恐らく、多分不可能でしょうね?

ちなみに、Bの脇指拵の鞘の色ですが、前回Aの鞘以上に飴色が強くなっていますが、写真には茶色に写ってしまっています。私の素人写真ですので御了承ください。
(文責・中原信夫)

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