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+ 中心櫃にある責金について

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

前回の鐔について、今まであまり触れていなかった事を少し述べてみたいと思います。

では、(6)図(拡大図)を見てください。中心櫃の上下(刃方と棟方)に素銅で責金(せめがね)が施されています。この責金は別名「口紅」(クチベニ)とも呼ばれて、時代が下る鐔などでは、この責金を独特の形にした上、そこに平象嵌をしたのもあります。まさに、中心櫃を女性の口に見なして、その上下に見立てて口紅とは、誠に見事なたとえ方だと思います。

さて、この責金は鐔にはなくてはならない役目をするもので、これがないと、刀の中心が凹んでしまい困ることになります。特に鉄鐔は、刀と同じ材質ですから、中心ヘ損傷を与えて凹みますから、必ず鉄より柔らかい素銅で責金を入れて、刀身(中心)とのガタ付き等を調整し中心を保護します。また、責金の材質では、銀は昔から全くといって使用していません。恐らく、金属の「イオン値」による化学変化で、中心(鉄)に悪影響を及ぼす事になるからでしょう。素銅なら安価で且つ、工作もしやすく利点が殆どですし、鉄以外の鐔でも必ず素銅などの銅系の材質で責金は作られています。

 

では、(6)図から見ていただくと、この責金は二重になっています。刃方・棟方も同様です。これは少なくとも2回は違う刀身、恐らく脇差ぐらいの刃長の刀身が入ったと推測されます。また、中心櫃の形状から断言は少しでき難いのですが、最初の1回目は平造、2回目は本造であったのかと推測しています。

 

さて、最初の責金の上下の間隔を計りますと、およそ8分強もあり、重ねも約2分位はあったように思われます。そして、刃方は少し肉のついた丸肉の状態になっていて、2回目の刃方は角小肉といった状態です。棟方は1回目は多分、角様に近い状態で、2回目は中肉がついた状態というものです。

こうした中心櫃の責金は、不安定な状態ですから、後世になって取れやすく、今回のように刃方・棟方共に完存しているのは、逆に稀な例といっても宜しいと思います。

1回目の責金が、この鐔の製作時期と同じか、もしくは、極めてそれに近い時期と考えるのは間違っていないと思いますし、逆に、この考え方でいくしかないと思われます。

 

世上、製作年代を鐔の形や図柄等でのみ自己流で勝手な判断をして、堂々とその著書に述べておられる方もいますが、例えば、本当に鎌倉時代の太刀が入った鐔ならば、その中心の断面形状(形と重ね)より少し大きめの中心櫃孔が、その鐔にある筈で、否、なければいけない筈ですが、鎌倉時代の太刀の中心がとても入らない、小さく、狭い中心櫃孔の鐔を引合いに出して、鎌倉時代の鐔として堂々と褒めています。こうした点を冷静且つ、論理的に考えれば、この著者のような低次元の判断は絶対にできないはずです。従って、古人は刀と小道具は必ず並行して愛好・研究するべきであるといったのです。確かに、幕末の頃の作鐔では、極めて小さく標準的形状での中心櫃孔のみが施してあり、何の加工の痕跡もない例があります。これは未使用という何よりの証拠となるものであり、貴重扱いをされるものです。

この様に、ひとつの鐔に施された過去の所作(加工)を見て、かなりの製作年代の類推ができると思っています。

ちなみに、この鐔は俗にいう“腰刀”につけられたかと思いますが、時代は金ピカの派手?な作風等から、桃山か、江戸最初期頃かなぁと全く漠然とした思いを致しておりますが、果たして如何に・・・
(文責・中原信夫)

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