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+ 濡烏(ぬれがらす)の小柄〜その1

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

今回は濡烏の図柄の小柄を二本、比較検討してみたいと思います。まず、A、Bの二本共に二枚合で、裏打出方式の構造であることを最初から認識しておいてください。

 

Aは赤銅・七子地で、波と水流を銀色絵(焼付か)にしてあります。寸法は、タテ=四分五厘、ヨコ=三寸一分五厘、高サ(最大)=一分七厘。左側に嘴を閉じて羽根を拡げた烏が一羽、そして右側に嘴を開けて波の上に羽ばたく様に一羽が彫ってあります。波頭は二つになったもので、流水はまるで琳派の流水の如きものです。七子地にあまり手擦(てずれ)は見られませんが、それでも左下側(左の烏の尾羽根の左側)には手擦があります。

Bは赤銅・七子地で波と流水を金色絵にしています。寸法は、タテ=四分六厘、ヨコ=三寸一分六厘、高サ(最大)=一分八厘弱。左側に嘴を閉じて羽根を拡げた烏が一羽、そして右側に、羽根を拡げて波で水浴をする嘴を開け、首を尾羽根の方へ曲げた烏が一羽。また、Bの手擦はAと違って、七子地全体の半分強の面積にかなりの手擦があり、殆んどツルツル状になっています。

 

では、このAとBではどちらが優れた構図(図柄)になっているのでしょうか。

ここからは全くの私見ですが、断然Aでしょう。では、少しづつ図柄を比較してみると、Aでは烏が互いに向かい合っているような構図となり、Bでは二匹ともに同じ方向(右)を向いています。

次に波を見るとAは明らかに波頭が二つになっているのが右側にあって大きく立ち上がり、まさに波には躍動感を想起させます。BではAのように高く立ち上がった波頭はなく、躍動感に乏しく穏しい。

次に流水を見てみましょう。Aでは烏の頭の上の上方は小さく、下方は大きくS字状にくねった形状となり、連想しやすい形状といえば尾形光琳の紅白梅図(国宝)を思い出していただければ良いかもしれません。ただし、この小柄と光琳のどちらかが古いかは別次元のことで、文字で説明しにくいのでよく知られた例を引合に出したまでのことです。私はこの小柄の方が光琳より古いと思っているのですが、絵画研究者とは全く相違するかもしれませんが・・・。

ではBはというと横向きの「U」字状に曲がっているだけで躍動感や重量感が乏しいと思われます。また、左側の烏の大きさと位置ですが、小柄全体の大きさに比べてBよりもAの方に軍配が上がります。つまり、Aの烏の方が遠近感というか空間に拡がりもあり羽根の形状もシャープです。Bはやや烏(左側の烏)の形が大きすぎて、少し窮屈な感じとなり躍動感とシャープさに欠ける気味があります。

 

さて、この“濡烏”の構図で前田家伝来の笄があり、有名ではありますが、古文献ではどの様に説明しているのかを一応紹介しておくと次の様になります。

『後藤黒乗傳書』(寛永二年)では「ぬれからすの目貫笄有」としかありませんが、『後藤光信傳書』(正保二年)、『万宝全書』(元禄七年)、『後藤隆乗 勅答書』(享保八年)でも全く同じ記述です。しかし、『後藤黒乗傳書』(宝永五年 朝倉応友本)では詳しく次の様になっています。

「濡烏の目貫笄あり小柄共に小柄にはすながし水を彫水はかり金銀の焼付にして その浪のうへに烏一疋口をあひて水をあひる躰なり 亦一疋は長羽をたれ口をふまひて向て居るなり(祐乗)」 となっています。この文言は今回のA・Bにまさにぴったりのものです。

ちなみに、後藤黒乗なる人物は全く謎の人物であって不明ですが、いづれにしても昔の後藤家が作っていた図柄であることには間違がないでしょう。

 

現在では烏と言う鳥に対しては、決して良い感じはあまり持っていません。しかし、あまり確かな記憶ではないのですが、昔というか室町時代あたりの禅宗では、烏は瑞鳥とされていたと聞いた事があります。したがって烏の図というのは、現在の様に嫌われものではないと解釈するのが妥当であるということを考慮するべきでしょう。
(文責・中原信夫)

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