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INTELLIGENCE

♯ 「僕は弟子ではないよ」

Copywritting by Nobuo Nakahara

前回に赤帽さんの料金に数倍以上の料金を気前よく払うことを書いたが、その時に、こうした気前の良さは本阿弥光遜の伝統と書いた。その事で少し。戦前であるが、本阿弥光遜が大阪などへ行く時、東海道本線の特急に乗ったそうだが(それしかなかった)、その時、列車のボーイさんに破格のチップを渡すのだそうである。この事は村上先生も『刀苑』誌の「刀・人・時」の欄によく書いておられて、戦前から本阿弥光遜のチップは有名であったそうである。

 

別に村上先生は、師である本阿弥光遜の単なる真似をしただけではないのであるが、一般的に村上先生は金満家と思っていた人もいた筈である。勿論、村上先生は本阿弥光遜の台所事情はよく知っていたと思われる。

これを証明するのが、現在も生存しておられる村上先生の長女と次女の御二人。その御二人が「本阿弥先生が当時、父が住んでいた蒲田の女塚の家へ遊びにおいでになったのをよく覚えています。父はそれこそ、まさに師を迎える態度でした。私達は、いかめしい顔の和服姿(紋付)で部屋にいる人、つまり光遜であるが、私達にはどんな人かわからず、唯々、父の態度に極めて丁重な扱いをしているのを感じて、大事な人であると感じるだけでした・・・。」と述懐された。この様に光遜が村上先生宅をなぜに訪れたのであろうか。およそ想像がつくのであるが・・・。

 

一般に、村上先生は本阿弥光遜の高弟とされていて、まぁそれは嘘ではないが村上先生自身、私に「僕は弟子ではないよ」とよく話された。弟子というのは宮形光盧はじめ、研磨の弟子である。しかし、村上先生は研磨の弟子ではない。謂わば、弟子でもあるし、パトロン的な存在である。この意味をわかる人は、もういないかもしれない。パトロンというと、変な意味ではないが支援者という色合が強い。

光遜には2つの所帯があり、家計費も相当いったであろう。光遜の門人の笠井辰一先生が、若い頃(入門中)白鞘、鎺の職人へお使いに出されたが、職人いわく、「光遜先生は、もう1年間も工作代を払ってくれないので、本来なら仕事はやりたくないのですが・・・あなた(笠井先生)は年配でもあって、光遜先生に叱られたら困るでしょうから、今回は仕事はしますが・・・」とよく言われたと私にこぼされた

味噌・醤油代も同様であったというが、高額なチップをやるくらいなら、工作代などをすぐに払えた筈。まして味噌・醤油代などはすぐ払える。そこが光遜の光遜たる所謂か。こんな人間が今出てきたら、それこそどうなっていただろうか。
(文責・中原信夫)

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