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INTELLIGENCE

♯ 光悦の“したたか戦略”

Copywritting by Nobuo Nakahara

最近、『琳派』(思文閣出版刊)という本を一応読んでみた。一応というのは、絵画分野で琳派とされる俵屋宗達・尾形光琳・乾山などは本阿弥家と関係があり、それをこれら3人側からだけではなく、本阿弥光悦側からもみた内容ではと思ったからである。

本阿弥家にしても資料が極めて少なく、『本阿弥家の人々』(福永先生著)でも仲々難しい問題を提起されているが、私達刀剣社会から見ると本阿弥光悦は、系図上では単なる“傍系”である。しかし、『琳派』では光悦以外に本阿弥家への認識は少なく、何となく“的外れ”ではないが、立脚点が少し違ってはいないかという感じが強い。しかし、『琳派』では有益な見方が示されていて、刀剣社会の秘密結社的な感じをかなり解放してくれ、逆に本阿弥家の本当の存在価値を逆証してくれた感が強い。

 

それにしても、光悦という人間は誠に“したたか”である。以前、本欄にも書いたが、あの権力者・徳川家康にも消極的に反抗しているが、『琳派』ではそこまでは言及していないようである。私は学者が何といっても、光悦は成り上がりの武家を内心は極度に嫌っている。性格が嫌いではなく、何の文化的素養も持ち合わせない低次元の輩ということであろう。それが、本阿弥一族の江戸への移住禁止を遺言として、また、禁裏を尊び、あくまでも京都定住にこだわったとされる行状に反映させた、つまり本心を隠す為の“アテ馬”としても禁裏・京を持出したと推測する。この一筋縄では絶対にいかない光悦である。まさに、生粋の京都人間であろう。

 

さて、京都には何故か長きにわたり強烈な革新知事がいた。あんな日本の中心地、古い文化とされている中心地に革新(左傾)府政が長期間続いたのである。極めて異常なことである。でも事実。現在、60歳以上で関西に居住されていた方は思い出されるに違いない。古いものを大事に大事にしているポーズを最大限見せながら、本心は逆のことを考える。かといって、本心を絶対に表に出さない。光悦の芸術的感覚と技量の凄さ、そしてその裏にある実利、つまり経済感覚は並外れている。

結論としては、性格的には煮ても焼いても喰えない人間となる。でも、美的感覚で創り出した作品、たとえ自ら手を下さない作品であっても、指導したであろうその美的感覚は斬新で旧来の様式を踏まえながらも、全く類例のない作品として残された。琳派も同様、そこに光悦の存在意義がある。
(文責・中原信夫)

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