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INTELLIGENCE

? 再刃について①

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

再刃について述べる場合、切っても切り離せなくなってしまっている言葉がある。それは「水影」(みずかげ)である。水影については拙著や『豆知識』サイトでも少なからず、その所作と解釈と定義について述べたが、ここであらためて述べておきたい。

 

さて、水影という言葉ほど悪いイメージを持たせるものはないが、ほとんどの場合、誤解し、誤用している。

刀を解説する、または鑑定をする時の水影というのは、『焼落部分から出現した移状の所作』とするべきでる。当然、この意に沿った解釈をすれば、水影を伴った作は必然的に再刃という事に帰結する。

今までは権威者とされた人も焼落と水影を連動させないで、各々を別々に解釈し、勝手な意見を述べていた。それは、戦前から、殊に戦後にかけて刀剣社会を牛耳ってきた一連の人達であり、そうした結果が堀川一派、殊に国広への解説であろう。したがって、一般の愛好家に、国広によくある水影がないと、堀川一派や国広ではないというような間違った先入観を与えてきたし、権威者とされる一握りの人の系列の人達は今でも各々適当に、その場その場で表現を「水影」としたり、「水影状の移(映)が刃区付近から立つ」などとして解説している。そして、これにならって愛好家の一部は、大坂新刀を見て『水影』がある・・・」というような事を言ってきた。すると、水影は再刃によく出る所作などとされている知識とドッキングしてしまい、その刀に?をつけてしまう。こうした矛盾を放りぱなしにしてきたのも事実。

 

以上であるから、水影は『焼落とセット』として考え、捉えるべきである。堀川一派や大坂新刀等々、多くの刀に刃区から移状のものが出現している。これは明らかに「焼出移(やきだしうつり)」と称するもので、時代・国・流派を問わず出ているのである。これをどうして堀川一派のみ水影としたのか不明だが、これを改めればいいだけの話。簡単である。因みに、備前の移は必ず煙込を伴ったもので切先辺まで明瞭に連続しているが、焼出移は鎺上のあたりで見えなくなる。

 

以前、『豆知識』に焼落から出現している移状のもので、焼出移と同じく途中で見えなくなってしまう所作、つまり水影の典型として重要美術品指定の古備前包平の小太刀を提示した(A)。この重美指定の小太刀は経眼済であるから、この掲載押型は一応の信頼はできる。

 

さて、この水影という言葉の定義を確実にするべきが日刀保であるが、平成二十八年の『刀剣美術』の秋頃の口絵に掲載された、和泉守之定(B)、つまり有名な歌仙拵(永青文庫蔵)の中身の説明では

「・・・(略)・・・区下より水影立ち、腰元を中心に鎬寄りに白け移立つ・・・(以下略)」となっていたので、後日、この全身押型と解説を書いた学芸員に、「水影というのは誤解を与えるから、訂正した方が良いかと思うが・・・」と私が直接言ったが、その学芸員は「水影という語句は定着していますから。私達はこういう表現で以前から慣れていますし・・・」という意味の発言があった。勿論、録音していたわけでもないのであるが、そういう趣旨の言訳であり、とにかく改める意思はないと感じた。ならば日刀保は水影の定義と解釈を示すべきである。ただ、平成26年9月『刀剣美術』(第692号)において、この点を指摘した論稿もあったと記憶するが、『刀剣美術』に採用した論稿を全く無視?

つまり、用語をよりわかりやすい環境にしないと愛好家を維持しにくいところまできているのである事を十分に認識してほしいものである。

 

では押型(B)を見てください。この刀はおそらく、ほんの少し区送(まちおくり)になっていると思われますが、その根拠は、刃区・棟区のライン(仮称・地区筋〈じまちすじ〉)と目釘孔の距離、そして刃区下から出ている移であり、その場所から推測で、この押型が正確であればの前提ですが・・・。ただ、この移からは末関物によくみる普通の移としか思えないが、これを敢えて水影という表現を使う理由がどう考えてもよくわからない。つまり、私のいう焼落部分から出ているのだけを水影と定義しないのなら、日刀保が水影の定義を公表しないと、水影という表現が混乱し、誤解を与える可能性が甚大であります。

敢えて今一度言っておくが、「刃区の上部が焼落となっていて、その焼落部分から出ているのを唯一、特に水影」とするべきであろう。因みに、「白け移」という表現であるが、移は全て白いのであるが・・・。
(文責・中原信夫 平成三十一年一月七日)

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