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小柄
放れ牛図(無銘・古後藤)
商品番号 :KZ-058
江戸初期 保存刀装具 桐箱入
100,000円
赤銅七子地 高彫(鑞付据紋) 金色絵 裏哺金
長さ:9.67 cm 幅:1.39 cm 高さ:0.66 cm
笄直なのか、小柄の小柄直なのか判別できない本小柄。本体を作り直したことだけは明白で、地板と袖の接合部、特に四隅の角には加工の痕がはっきりと確認できます。本体の額に合わせて切り取った地板には、切断された七子の半円形が見られ、地板嵌込式の造であることもわかります。では、紋はというと、鑞付の据紋。内部を探ると圧出た凹みはなく平で、地板そのものも重い方で、厚みもそれなりにあると推測されます。問題は最初に問いかけたように、元は笄だったのかそれとも小柄だったのかということで、2つの点から元々笄だった可能性が高いと推測しています。
一つは地板の両端部分で、笄だったのであれば長さからして木瓜や蕨手の痕跡があるか、あるいは七子粒の大きさや形状が途中から変化しているはずですが、それが全くみられず規則正しく蒔かれています。そしてもう一つが牛の紋の向きです。左を向いているということは小柄の置き方。笄であれば右を向いているはずです(ただし、これは絶対ではありませんが・・・)。このことから、本小柄は、小柄の小柄直だろうと思われるのです。その証拠ではありませんが、袖小柄にしている点がとても怪しい・・・小口が壊れてしまい、それを修復するため袖小柄に直した・・・そんなところでしょうか。なので、後補の袖仕立てをした際、ぐるっと哺金にしたのだと思います。放れ牛とわかる引きずられる綱の金と、本体の金色があからさまに色合いが異なっていることでも、袖仕立てが後補であるとわかります。勝手ながら、思うに最初は哺金などの所作はなく、黒い赤銅の本体に黒い赤銅の牛、そして綱だけが金ではなかったかと想像しています。
時代は小柄の小柄直を考慮して江戸初期としましたが、紋(牛)の彫口、綱の色絵(袋着なのか焼付なのか、今の所判別できていません)からは桃山期まで上がるかもしれません。加えて、紋が天地の縁一杯にまで迫っていることから、切り取られた部分を考慮すれば本来は一回り以上幅広だったと思われ、以外に大きな小柄だったかもしれません。鑑定書では古後藤としています・・・後藤であれば紋をこのように額の天地一杯には置かないでしょうから。(ちょっと鑑定書を都合よく利用してしまいました)