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INTELLIGENCE

♮ 肥前刀〜その3

Copywritting by Nobuo Nakahara

では前稿で述べた第一の点についてですが、その前に、末関刀工群が製作した刀は膨大な量です。しかし、美濃国内、及び周辺にその生産量をまかなえるだけの鉄資源(砂鉄、鉄鉱石と木炭)があったのか。それについては、私は未確認であり態度を保留します。

 

では、肥前刀はこの鉄についてどう考えるべきでしょうか。貴重かつ高価な和鋼は恐らく肥前国内での生産は考えられません。とすると、他国に求める事になりますが、一番は中国山脈(出雲、石見等)でのタタラでしょう。とすれば、輸送代が多くかかり、刀一本の単価が高くなってしまいます。それを解消したのが、高技量に裏付けられた肥前刀独特の構造ですが、当然、皮鉄の厚さにシワ寄が出てくるのは自明の理です。しかし、それを技術で解決したということであるし、そうしなければ全国各地に販売は出来にくくなります。こうしたギリギリの選択は現代の企業も常時やっている筈です。

 

それから、もう一つ手があります。それは和鋼の他に南蛮鉄を使用する事です。南蛮鉄の由来と最初の使用用途は別にして、九州というロケーションからみても、この南蛮鉄使用は十分に肯けるものと思います。従って、幕府の面子をつぶさぬ様に、鍋島藩が禁止令を出したのであって、私は秘かに使用していたのではないかとの推測をしています。使用しているからこそ、表面上は禁止した。しかし、使ってしまえば まず分からないと考えられるのです。従って、その推測が正しければ南蛮鉄は大量かつ順調に調達出来たと考えるしかなくなり、従来の考え方を変えなければいけなくなります。ただし、南蛮鉄の品質を一定にしないと大変な事になる点と、輸送ですが、伊万里焼の破片がアフリカ最南端の喜望峰の海岸に打ち上げられると聞いていますし、アフリカの砂漠からも出土する事実があると聞きますので、その交易ルートを利用したとも考えられます。

 

以前、近江大掾忠広の作刀で南蛮鉄の銘を刻んだ例をお預かりしたが、誠に美事な作刀(刃文・地肌)でしたし、南蛮鉄との見地から鑑れば、そうであろうと肯き得る匂口の作刀に出会った事もあります。中心に刻銘してなくとも、実際に使っていると考えれば決して無理な事ではありません。しかも、康継が堂々と南蛮鉄と刻っているのにお咎めがないのも不思議です。幕府お抱え刀工ですよ・・・。越前康継にしても抱主は鍋島のように外様大名ではないのにですよ・・・。

 

こうした点も含めて、大変荒削りの推測に終始しましたが、皆様のご指摘を待つものであります。
(文責 中原信夫)

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