INTELLIGENCE
♮ 一振の追憶 - その2(於備前国義光作)
Copywritting by Nobuo Nakahara
今回は現代刀に焦点を当ててみたいと思います。現代刀は現在では誠に厳しい環境になっていて、おそらく明治の廃刀令以来の危機と言ってもよいでしょう。この危機を脱するのは生易しいものではないでしょうが、一つの大きな突破口として外国での展示・実演等を心掛けるのが、残されている唯一の対策と常々考えています。しかし、これとて国および関連役所の協力なくしては出来ない事であって、是非共、一丸となって取り組んでほしいと思います。
さて、次の二振は大野義光刀匠の珍しい?作刀です。どうして珍しいかというと、大野刀匠は“山鳥毛”写はじめ一文字写が有名であって、それらは備前伝の範疇です。しかし、今回の二振は柾目肌の作刀であって、私にとっては大野刀匠の柾目は初見のものとなります。
- 脇指 銘
- 於備前国義光作
平成十六年夏
刃長/八寸五分五厘、反/(先が少しうつむく)、平造、真の棟、中心は生で目釘孔は一つ。
刃長/一尺八寸七厘、反/三分、本造、行の棟、中心は生で目釘孔は一つ。 - [地肌]
- 総柾目肌で少し流れ心となり、刃寄りは肌目が少し太くなる。
- [刃文]
- 柾目肌に沿って縦の所作が頻りにあらわれ、小沸がつく。
- [鋩子]
- 掃掛が烈しく、返は焼詰風となり、棟焼が出る。
- ※本刀は名物「桑山保昌」の写物である旨が、大野刀匠自身の鞘書にある。
- 短刀 銘
- 於備前国義光作
平成丁亥年春吉日
刃長/九寸五分二厘、反/僅か、平造、真の棟、中心は生で目釘孔は一つ。 - [地肌]
- 総柾目肌で少し流れ心あり。刃寄りの肌目が少し太くなり、流れ強し。
- [刃文]
- 柾目肌に沿って太い縦の所作が頻りにあらわれる。
- [鋩子]
- 掃掛が烈しく、返は焼詰で、棟に肌目が逃げる。棟焼が出る。
- ※本刀は名物「大保昌」の写物であり、前掲の短刀と同じく大野刀匠の鞘書がある。そして、本刀の鎺には、大野刀匠による鳥獣戯画風の自身彫がある。
刀の鑑定では五ヶ伝というものがよく基準として引合に出されますが、これはあくまでも基本的なセオリーであって、本阿弥家が明治頃までは秘伝としていたものを、明治末頃から大正初期頃に本阿弥琳雅・光遜が大別・類系化して、簡便かつ効果的にまとめ上げたもので、美濃伝を除く他の四つの伝は鎌倉時代の在銘をモデルにしています。しかし、これは表向きの事であって、本当の狙いは無銘極の正当化に“本阿弥家秘伝”なるこの五ヶ伝を引導代わりに使った迄のことです。
現に、大和伝なるものは柾目となっていますが、鎌倉期における大和五派のうち、純然たる柾目は保昌一派のみであって、極く稀に千手院にありますが、大和物そのものが全般的に在銘正真が稀少なのですから、大和伝を即、柾目と見なすのは、この点でも自己撞着となってしまいます。
さて、前掲二振のこの純然たる柾目は大和伝の中の保昌伝とするべき作風を写しているのであり、柾目肌に沿ったというか、絡んだ砂流、金筋状の縦の所作は当然出現します。したがって、難しいのは柾目をどれだけ純粋に表現出来るかであり、作刀技法を掲載した従来の書籍や柾目を作風とした少数の現代刀工の語る秘伝なる内容には、かなり?がつきます。
それらの秘伝なる内容は“十文字鍛にしたものの側面を延ばしていけば柾目になります・・・”というのですが、この通りにやっても出来ないのは大野刀匠の唯一の弟子?高野行光刀匠の語る真実です。
高野刀匠は師に似ず綾杉肌現出に巧みであり、現代刀の範疇では第一人者の一人でしょう。同時に柾目の作者でもあるのです。この高野刀匠から、「師匠の大野に柾目出来がありますよ・・・」とは聞いていましたが、実見する機会がありませんでした。しかし、今回計らずもその実物をお預かり出来ましたので紹介した次第です。
およそ古刀から新々刀にいたるまで、柾目鍛の作者はかなり少ないものであって、逆にそれを基本にして入札鑑定会では、明暗が別れます。賞品をかけた一本入札などでは、普段は柾目をやらない刀工の作を出品し、入札者の目を惑わすことも度々あり、これが柾目肌の難しさを如実に表しています。
そもそも、柾目肌が出来ないか、またはやったことのない刀工に限り、前述の鍛えた地鉄の側面を延ばしていけば柾目に出ますよ・・・と、いとも簡単に言い逃れるのです。
では何故、柾目が難しいのか。それは柾目をやろうとすれば極めて入念かつ繊細な作業をしなければいけないので、時間と手間がかかり、地鉄もかなり消費してしまうとの事。刃文で一番難しく高技術を必要とする丁字乱(ただし土置によるもの)で、山鳥毛写を現出した大野刀匠ならではの技でしょうか。
柾目の作者に関しては一つの大きな特徴があって、それは古刀以来、概ね寒い地域での作刀例が多い点でしょう。
いづれにしても、現代刀匠諸氏がもっと柾目肌に挑戦していってもらいたいという感があります。
(文責・中原信夫)