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INTELLIGENCE

♮ 三作鋩子

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

刀剣鑑定の手引書・参考書に三作鋩子(さんさくぼうし)とされているものがあって、備前の三作(長光・景光・真長)によくある共通の作風(鋩子)とされています。

本阿弥光遜の『日本刀の掟と特徴』(昭和三十年刊)には、「三作鋩子とは大丸横手上刃細しである」とされていて、景光の項には図示(A)されています。また、同書の真長の項には「三作鋩子で締まる」と解説してあり、「締まる」とは鋩子の匂口そのものが締まるという事です。しかし、三作には入っていない近景の項には図示(B)をして「湾れ心があって、稍尖り気味で返る」としています。ただし、現今では近景鋩子なる言葉は使われる事はなく、近景鋩子であっても三作鋩子という説明で済まされているケースが殆んどです。

では三作鋩子というのを考えてみると、「備前長船長光・景光・真長ら三工の特徴ある鋩子。切先が研ぎ減り、横手の線が下がったため、横手の上方の刃幅が狭くなり、たるんだように突き上げて、大丸風に返ったもの」(『日本刀大百科事典』福永酔剣先生著)としていて、図示(C)されていますが、この説明の出典は本阿弥光遜の『日本刀の掟と特徴』と、『日本刀大観』(昭和十七年刊)となっています。さらに『日本刀工辞典』古刀編(藤代義雄・藤代松雄著)(昭和四十九年版)には(D)図が示されて、「想像図、物打辺、順次刃細くなる。また、たるみ鋩子等も研減りによる後天的なものと考えられ」と説明していて、本阿弥光遜の記述や『日本刀大百科事典』と殆んど同じ内容なのです。因みに『日本刀工辞典』の昭和十三年版(初版と思われる)には、(D)図や説明はないので、戦後に付け加えられたと思われます。

 

では、その三作鋩子について私見を述べる事にします。前述した説明の全てが、切先の形状の変化を説明しているだけであって、三作鋩子にしても、近景鋩子にしても、共通しているのは鋩子の「たるみ」、「のたれ」であって、横手上の刃が細いとかの変化と「たるみ」「のたれ」は全く関係がありません。

研減って「たるみ」「のたれ」が派生するなら、殆んどの古い太刀はそうなって然るべきではありませんか。要は切先(鋩子とは切先の部分にある刃文を指すので、鋩子が伸びるとか、大鋩子などという表現は間違っている)の全体の形状の変形はどの刀にもあるのであって、三作鋩子とか近景鋩子とか云われるもので唯一大事なのは「たるみ」「のたれ」です。したがって、前出の全ての書物の説明はピントはずれということです。

 

さて、この「たるみ」「のたれ」がどうして三作刀工や近景によくあるのか、これが大問題なのです。推測ですが、私は以下のように考えています。

その前に、鋩子が「たるみ」「のたれ」状になるのは何も四刀工だけではなく、同時期や他国の刀工にもあって、決して特別なことではないし、逆にこれら四刀工の在銘作(正真)で「たるみ」「のたれ」になっていないものもあり、同じことは三品一派の鋩子とされる三品鋩子と全く同じです。

さて、この「たるみ」「のたれ」が出来る原因は、芯鉄によるものと考えてはどうでしょうか。およそ、刀工が打卸の時にどの辺まで、つまり切先部分のどの辺まで芯鉄を入れて作刀・火造をするかなのです。

刃文(鋩子)が研減ってくればフクラは芯鉄の一番先端に段々と迫ってきますが、しかし芯鉄は移動しません。つまり、芯鉄を包み込んだ状態で切先を成形したら、淬刃時での焼刃(鋩子)は皮鉄と芯鉄の入り具合でおそらく微妙にその形が変化する筈で、それで芯鉄の先端部分が隅々、「たるみ」「のたれ」状になってしまって成形された状態で淬刃したら、おそらく淬刃時には土置の通りに直状になっていても、結果的(研磨による減り)に、先端に包み込まれた芯鉄の先端の形の如く刃文(鋩子)が「たるみ」「のたれ」状となって表れてくるように思われるのです。

つまり、切先部分の中にどういう形状で芯鉄の先端が入っているか、どこまで芯鉄が皮鉄の下(内部)に組み込まれているかによって、刃文(鋩子)の形が左右されると考えられるのです。・・・この推測は如何でしょうか。

さらに、三作鋩子、近景鋩子と特段断って掟に組み入れた最大の理由は、無銘を極める時に個名を限定しやすく、尚かつ持主を安心させるための引導のかわりに唱え始めたと思われます。だって、そういう風に有名刀工に極めた方が、持主は喜び、鑑定家は儲かるでしょうから。
(文責 中原信夫)

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