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INTELLIGENCE

♮ 余計なお世話?

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

つい先日、「刀剣博物館」で平成二十八年(第二十四回)の特別重要刀剣の指定展があったようです。刀剣は七十一振の指定があったそうですが、数では前回を少し上まわると聞いています。別に数が多いからいけない事もないし、少ないから良いという事でもありません、要は指定物件の品質でしょう。

 

さて、この展示を観た方から、その折の展示目録を見せて頂きましたが、珍しい現象がありました。 それは物件(太刀)の製作年代の項に四ヶ所にわたり、白いマーカーで文字が消されていたのです。またその内の一ケ所の年号は恐らく単なる誤植だろうと思われます。

しかし、無銘(備前三郎国宗)では、原文は「鎌倉時代中期~末期」としてあったのを「~末期」の部分をマーカーで塗り消してありました。また、太刀 常遠(備中)では「鎌倉時代中期」を「初期」とし、極めつけは、刀 無銘(貞宗)で「鎌倉時代末期~南北朝時代初期」とあったのを「鎌倉時代最末期~南北朝時代」と削除し付加え、さらに、南北朝時代初期の「初期」をマーカーで塗って消していました。

約一ヶ月の展示期間にどれだけ来館者があったのかは、また、いつから訂正したのかは知りませんが、こうした訂正をするのは誠に面倒なことであり、担当者に“お疲れ様”といいたくなりますが・・・いづれにしても珍しい現象でした。

 

では本論に行きたいと思います。私の興味は貞宗極の項の訂正です。つまり、正宗極の二振の年代を鎌倉時代末期としたから、その正宗の弟子とされる貞宗を同じ鎌倉時代末期では少々?と感じたか、または誰かに指摘を受けたのかも知れません。さらに貞宗の下限を南北朝時代初期から単に南北朝時代とした事です。

ここに、相州伝上位刀工(正宗・貞宗・江義弘)に対する捉え方の本音が出ています。つまり、どうしても貞宗を作りたいとの本音が見え過ぎています。正宗を基準とするなら、その前の新藤五一派には僅か乍ら年紀があるから、上限の年代は抑えられます。とすると、貞宗は当然前述の結果になってしまうのです、と日刀保は主張する筈。そして、この時代設定をもって、大切先の正宗はある。当然、それよりも少し時代の下がる弟子の貞宗にも大切先はある、という言い訳をデッチ上げるでしょう。

 

昔の本阿弥家の亡霊(造り物のミイラ)を探しに行った結果、ミイラ取りがミイラになってしまった本間順治氏のご指導宜しきを得た結果なのでしょう。

それにしてもこの訂正劇は、誰が言い出したのでしょうか。民間の側の指摘は仲々改めない志操堅固な日刀保なのに、いとも簡単に・・・という感じがしてなりません。正宗・貞宗、江義弘のミイラを復活する画期的な方法が発明された?
(平成二十八年六月 文責・中原信夫)

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