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INTELLIGENCE

♮ (続)余計なお世話?

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

先日、知人が見せてくれた和泉守国貞の脇差。典型的な親国貞の出来で上出来でしたが、鑑定書を見せてもらったら「和泉守国貞(二代)」とありました。ただし、この認定書の名義人はわからない形式のものでした。また、つい最近でも別物件の武蔵大掾忠広でもこうした例を実見しました。

 

ここで私が問題提起をしたいのは、別にこの国貞にケチをつけているのではない事をお断りしておきます。つまり、国貞の二代といえば井上真改であり、親国貞と井上真改では刀剣界の受け取り方も値段も全く違う構造になってしまっています。

これについては、考え方が間違っているのであって、本来は、“国貞(親)の子が井上真改である”という厳然たる点にあります。この考え方をしていかないと、刀は理解して楽しめなくなるのは必至となってしまいます。親国貞の技術が良かったから、子の井上真改という名人がいるという順当かつ自然な解釈をすべきなのです。

ただ、市場値段については、私の立場からは言えませんが、この「和泉守国貞」についていうなら、どこにも“井上”と入っている訳でもありません。従って、わざわざ“二代”と書き入れる必要があるのかという点にあります。“井上和泉守国貞”とでも銘があるなら別ですが、親切・丁寧な日刀保なので当然書き加える?・・・。

 

以上の理由で、私は日刀保が、どうして二代と書き入れたのか。つまり、これは刀剣商に対する日刀保のリップサービスの可能性が高いとしか受け取れないのです。つまり、愛好家からすれば二代とあれば、真改同等と思うし、刀剣商からすれば、真改として売れるので高価な値段をつけても、客は文句を言わないし、むしろ客が喜ぶ傾向は否めない現状。

つまり、日刀保と特定刀剣商との阿吽の呼吸とでもいうべきでしょうか。

日刀保も単なる国貞と二代国貞(真改)では値段が違うという事は知っているにも拘らず、それには全く目をつぶっています。その証拠に日刀保は全ての認定書に対して、「鑑定書等の如何によって、市場値段等が変動しても、鑑定書発行元の日刀保には、何ら責任と関係はない。」との声明文を既に発表しているのです。まさに、思い上がった、そして絶妙な責任逃れの作文です。

 

ではどうして、わざわざ二代と書き入れたのでしょうか。恐らく、銘字の研究から、親国貞の時代ではあるが、後の真改、つまり、二代目が刻銘をしたと考えられる。したがって、純学問的な見地からの見解を示したまでで、他意は全くないと日刀保は返答するのでしょう。

因みに、つい最近に見た武蔵大掾忠広の例では、“刀 銘 肥前国住武蔵大掾藤原忠広(二代代銘)”とありました。日刀保は某方面の見解だけには、いとも簡単に賛成するようです。“京逆足”もそうでしたが、今回の“二代代銘”も同様でしょうか。学問という見解を楯にした無節操極まりない所業です。朝令暮改や無節操、御都合主義は日刀保の歴代の御家芸ですね。因みに、この鑑定書(平成二十四年発行)の名儀人は消してありました。余程、札付の名前なのでしょう。
(平成二十八年六月 文責・中原信夫)

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