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♮ 一振の追憶 その5(弘幸)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

今回は短刀、しかも今迄あまり高い評価を得ていない刀工の作を選んでみました。

 

 
刃長/九寸四分強、反/なし、鵜首造、真の棟、中心は生で孔は二つ(内一つ埋)。
 
 
[地肌]
小杢目状の肌が少し肌立ち、刃寄りと棟寄りに柾目肌が出る。
[刃文]
匂出来で小沸がよくついた直刃。刃中には殆ど所作がなく、所々に小沸が凝(こご)る。指表の鎺上には二重刃が出る。
[鋩子]
直状で二重刃(表裏同じ所にある)となり、先は小丸で返は深く、棟焼がある。

この弘幸は広幸とも銘じていて、後年は丹後大掾を受領しています。

今からもう二十年程前、横浜におられた愛刀家を訪ねた折、一本鑑定として私の前に出された片切刃の短刀(小脇指)がありました。所有者は“これを今までに当てた人はなく、珍しいもので・・・”と語られたので、私は“丹後大掾広幸ですか?”と答えたら、果して当りでした。所有者は丹後大掾銘はこれ一本しかないと言われていましたが、私は昭和五十三年に同じ片切刃の丹後大掾銘の広幸を経眼していました。ですから、最低二本がこの世に存在する事になります。

 

さて、前述のような話を何故したかと言うと、私はこの広幸(弘幸)が大好きな刀工なのです。前述の横浜の愛刀家は確か大切先の刀の同作を持っておられたと記憶していますが、定かではありません。

この広幸はその殆んどが古作写ともいうべきものが多く、特に短刀、小脇指のものに古作写が多いのです。しかもその作風は古作に見紛れる様なもので、時に彫刻があり、その彫刻も研減を伴った如き状態の作例もあります。

本刀もおそらく、地刃から新藤五国光あたりを狙ったと思われるもので、あるいは来国光かとも思える写物です。

同作には本刀のように匂口がやや締り心のものではなく、匂口がフックラとしたものもあり、貞宗あたりの写物と思えるものも経眼しましたが、それらと相違する点はどうしても地刃に美濃伝臭が強く感じられる事です。

 

ちなみに、広幸は堀川一派とされていますが、出身は美濃国と言われています。入札鑑定会で堀川一派と見て、美濃伝臭が強くあるのはこの広幸(弘幸)、阿波守在吉、そして出羽大掾国路の三人が該当するとされています。いずれにしても、新刀最初期に活躍したのには末関出身が多くいて、三品一派もしかりです。しかし、その三品一派は堀川一派に較べて評価が今一つ。その原因は末関そのものの評価の故なのでしょうが、これは不当判決・評価である事は本サイト(オフレコ刀庵)にも既述してあります。

もっと三品はじめ、この広幸が評価される事を望んでいます。
(文責・中原信夫)

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