INTELLIGENCE
♮ 二回目で蘇生した正清?!
Copywritting by Nobuo Nakahara
まず押型を見ていただきたいと思います。
- 脇指 銘
- 薩州住藤原正清
本造、行の棟、刃長一尺三寸三分、反り三分。 - [地肌]
- 小板目肌にやや大肌が所々に交じり、刃寄りは流れ肌となり、鎬地は柾目交じり。
- [刃文]
- 小沸出来、匂口は締り心となった直調の丁子風に箱乱(ドーム状)となり表裏揃う。刃中に足が入り、砂流・金筋状の縦の所作が頻に所作する。部分的に荒目の沸がつく所あり。
- [鋩子]
- 弯心の小乱となり、先はやや崩れ心。沸がよくつき、返は少しで棟焼が少し出る。
本刀は薩摩国主水正正清のどちらかといえば若打であり、全く疑う余地のないもので、私は平成23年11月に北九州市内の知人から拝借して、その後、私の研究会で鑑定刀として使わせていただき、翌年(平成24年1月下旬)に返却しました。そして平成27年夏に鹿児島市に於いて本刀に再会して後に再度お預かりしましたが、最初の所有者から別の所有者に移っていました。勿論、二回目に預かった後、その年(平成27年)の秋に北海道の研究会に持参しましたが、この二回目にお預かりした際には田野辺道宏氏の鞘書(A)が施されていました。最初にお預かりして、お返しした時点までは田野辺氏の鞘書はなかったのです。
その後、平成27年秋に三番目の所有者になって、平成27年(2015年)11月の日刀保の審査(保存・特別保存)に提出された結果は「偽銘」として不合格(B)。
その後、三番目の所有者は日刀保から返却後すぐに平成28年(2016年)5月に再度、日刀保の審査に提出して、目出たく?保存・特別保存に合格(C)し「偽銘」の濡衣?は見事?に晴れたことにはなるのですが・・・。
この記述を読まれた皆様は、どうお考えになるでしょう。一回目の日刀保審査の折には、「偽銘」と断定(判定)・不合格とされたのです。それが半年後の同じ日刀保の審査で合格したのです。最初に「保留」ぐらいであれば、この結果にはまだ納得は出来る範囲ですが、「×」が「○」となったのですというか、×を○にしたのです。こんな判定がありましょうか。従来から日刀保の審査は合議制と聞いていましたが、審査員の中で意見が別かれたのなら「保留」にするのが関の山であって、合議制においての一部の反対があるとしても「偽銘」という判定は理屈上、全員一致の意見としか考えられません。
一回目の審査結果を私が所有者から聞いて唖然としたのですが、再度提出するように強く勧めましたので、再度提出し「合格」したのです。ただし、「偽銘ですが保存・特保に認定しました」という事ではないのです。正真銘と認めたから保存・特保に合格したという事です。銘は偽銘だが、保存・特保にしますという事は絶 対にないと日刀保自らが規定しているのですから。
では、この半年間の期間に日刀保の鑑定眼、鑑識が変ったのでしょうか。日刀保の学芸員曰く“日進月歩ですから・・・。”
そうであるなら、過去の合格・不合格の物件全てを常時点検し直し、合格を取り消したり、また、不合格を合格にしなければ、有言一致とはなりませんが、金輪際そうした処置をした実例を見聞しません。もしあったら私に知らせて頂きたいと思います。
では、この正清が何故に合格したのか。唯一考えられるのは、この鞘書(A)です。一回目の審査時は、この正清の白鞘に私が紙を巻いていて、その紙がゆるんだりしない様に念入りに巻き付けていて、鞘書が見えないようにして北海道に持参したそのままの状態での提出だったのです。初回の審査返却後に見ますと私の施した巻紙には全く変化がない状態でした。というのは、北海道の研究会に行く時は、この様に全ての白鞘に紙をきつく巻き付けていかないと、強力な暖房で白鞘が割れる事が多く、それを防止するために私が例外なく施すからです。
しかし、二回目の審査提出時には、私がきつく巻き付けた紙を全て剥がして、鞘書がすぐ見える状態(普通の状態)での提出でした。
したがって、一回目と二回目の唯一の相違点は、この鞘書だけしかありません。私が白鞘に巻き付けた紙は絶対に動かしたり破損したりした痕跡は全くなかったのですから、審査員達は鞘書に気付かなかった、それ以外には絶対に考えられません。という事ですから、「偽物で×」が「正真で○」に変えられた理由はこの鞘書ですし、正確に言うと鞘書の内容ではなく、鞘書人の先輩の田野辺氏に対する現在の日刀保審査陣(学芸員)の評価であり処置なのでしょう。
つまりは、田野辺氏が偽銘とは書いていないので、「○」にしたという事であって、鞘書がなかったら、ずっと「×」であった可能性もありますが、田野辺氏が「×」と言おうと、日刀保が「×」としても、この脇指の正清銘は正真です。その事よりも、一個人の鞘書で「黒」から「白」へ変る現在の日刀保の審査陣の無節操さには、今さらながら呆れ返ってしまいます。
この件につき、出来うるならば、日刀保の正式見解を一回目の審査状況をも含めて、解りやすく、順番にコメントをして頂きたいとおもいます。
どうして、今回、この様な事を書いたかというと、一般の人がこの正清を所持していて審査に出し、「×」とされたら、その結果はどうなるかなのです。数多く提出されたのでとか、短時間で見たので見落としましたとは、口が裂けても言えない筈です。
因みに、この正清の最初の審査結果について、私が日刀保に直接抗議した事はありませんし、抗議するつもりもありませんでした。どうしてというと、過去にも似たケースを見聞きするからでした。
その一例はある短刀でした。この短刀は以前からよく知っている作ですが、一回目の保存・特保の審査では「偽銘・再刃の恐れあり」で不合格、二回目は「再刃・偽銘」でまた不合格となり、三回目には保存・特保に「合格」となったのです。その事実を私は後日、所有者の知人から聞いて呆れ返ったのです。呆れ返ったのは、審査内容に呆れ返ったのであり、一回目、二回目ならまだいいですが、三回目に至ってやっと判定が「黒」から「白」に覆った事なのです。
また、他の例では、私の知人が所有する在銘の肥前刀を請われて、ある知人(私も知っていた)に売ったのですが、その肥前刀には何の認定書も付いていなかったので、買った知人が日刀保に審査に出したところ、「偽銘」の判定でした。当然、買った知人は売った人にその旨(結果)を伝えて返品しました。その時に買った知人は、売った知人に「あなたは私に偽銘の刀を売りつけたのですね・・・」と言い放ったそうです。売った知人は正真と思い、その刀を請われるまま売ったのです。しかし日刀保が「偽銘」と判定したので返品するという事になり、売った知人は引き取りました。
つまり、肥前刀を買った人の立位置(考え方・思考体系)はこうです。「日刀保が偽銘と判定したから×である。」つまり、日刀保が「是」であり、その判定が全てであり、それを信頼し100%受入れたし、それが正しいとの考え方です。
私はその肥前刀を拝見しましたが、日刀保が偽銘と判断した理由が判りませんでした。そして、買って返品した知人は刀の世界から遠ざかっていかれたようです。ただ、再度この肥前刀を審査に提出して、もしも今回の正清と同じ事になったら、返品した知人は果して日刀保を信頼するでしょうか。また、売った知人とうまくやっていけたのでしょうか。それを考えさせられるのです。逆に、日刀保が偽銘を正真と判定した例があるなら、これまた、厄介なことになります。因みに、私は日刀保の審査での認定書、指定書が全て「×」とは言っていないので曲解しないで頂きたいと思います。
(文責・中原信夫)