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♮ 一振の追憶 その6(肥前国住近江大掾藤原忠広)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

刀 銘
肥前国住近江大掾藤原忠広

刃長/二尺四寸四分七厘、反/六分二厘、本造、行の棟、中心は生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
小板目肌が殊によくつみ、少し肌立つ気味あり。
[刃文]
小沸出来の直刃調で、少し浅い弯(のたれ)心があり、表裏が揃う。総体に帯状の匂口となり、横手下から鋩子の中程迄に二重刃状の所作となり、刃中に小沸が凝って小足状となる。
[鋩子]
直状でやや深く、先は小丸で掃掛(はきかけ)心となり、返は深く、返先(かえりさき)の匂口は締る。

本刀はまさにミスター肥前刀そのものであり、二代忠広の典型かつ上出来ともいうべき作です。

しかし、世上、肥前刀をあまり好まない傾向の愛刀家がおられるし、二代忠広については、残念ながら全国的に一致した意見が案外多いのです。つまり、二代忠広の作刀はかなり多くあり、地元の方でさえも同様の趣旨で“いっぱいあるからねー”なのです。

確かにそれは間違ってはいません。しかし、だからといって二代忠広の価値を認めないという事にはつながらないし、いっぱいあるから評価しないと考えるのは間違っています。ただし、好嫌とは別問題である点をよく考えて欲しいのです。

 

私は二代忠広が60年にもわたり作刀し続けた、いやむしろ作刀出来たという点に一番注目しています。つまり、傑出した工人であると考えています。私も二代忠広にあやかり、60年間はこの刀剣界で生きていきたいと念願しています。昭和四十九年に入ったこの刀剣社会、あと何年、私の体と脳が健全かつ正常に保持出来るか。私は二代忠広の偉大さをひしひしと感じます。

 

さて、本刀を拝見した折に、“どこかで拝見した気がするが?・・・”という漠然とした記憶があり、私の手持の押型を調べてみたら、今から三十五・六年前ではありますが、九州南部の某地で拝見した記憶が押型からよみがえってきました。

当時、研究会でお世話になった愛刀家(故人)の自宅で拝見、押型を頂き、機関誌『とうえん』の誌上鑑定刀に使用したのです。その愛刀家の自宅で宿泊させて頂いた折に、地元の商人が見せてくれたものでした。それと共に、故人になられた愛刀家の思い出と、その時に研究会に出席して頂いた人達・・・その人達の中で、もう故人になられた方も多く、存命の方はおそらく三人位ではないだろうかと思います

 

三十年以上もどこをどう廻ったのだろう、再度、私の眼前に現われたこの刀。私は一汐感慨に深いものを感じます。

いづれにしても、この刀は現存していたのであり、作者の二代忠広は既に亡く、この刀を所持していた多くの人達もこの世から姿を消しますが、この刀はそのまま生き続けるのです。とすれば、偉いのは二代忠広でも多くの所持者でもなく、この刀のみという結論に・・・。それにしても“いい刀”ですね!!
(平成二十八年三月一日 文責・中原信夫)

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