中原フォーラム HOME
INTELLIGENCE

♮ 一振の追憶 その7(賀州住藤原景平)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

今回は大小(刀と脇指)を紹介しようと思います。

 

脇指 銘
賀州住藤原景平
政重(花押) 一之胴両度
        大かりがね一度 圡壇入(金象嵌)

刃長/一尺三寸三分、反/一分五厘、本造、丸棟、中心は生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
板目肌に小板目交じりで、刃寄りと棟寄りは柾目肌で流れ心が強い。総体に肌立つ心あり。
[刃文]
匂出来、直刃調に五の目乱、小乱、コズんだ乱が交じり、匂口が締り心。刃中に足が入り、不規則。総体に表裏揃い心。
[鋩子]
直状で少し乱心があり、五の目足が入る。先は小丸で返は少し。

本刀は平成五年にお預かりしたものですが、中心にある金象嵌が誠に見事に尽きるものです。「政重」というのは加賀藩の国家老・本多安房守政重であり、花押も確認済です。本多政重はその経歴を調べると、興味津々な人物であって、私の興味もその人生にあります。

 

本多家は代々金沢に住まれ、今でもその屋敷のあとは本多町として残されています。実は私は二回にわたり本多家を訪れた事があり、最初は昭和五十六年頃でしたが、当主であった本多政一氏の案内で自宅へ、そしてその一年後ぐらいにもう一度訪れました。当然、兼六園の近くにある『本多蔵品館』へも案内頂きましたが、初代の本多政重の人生について興味を持ったのはそれからです。

本多政重は本多佐渡守正信の次男、長男は本多上野介正純です。つまり、父と長男は徳川家康の旗本中の旗本で最高幹部。しかし、本多政重は関ヶ原では西軍に属しています。その本多政重は二回も前田家の家臣として仕え、二回目では三万石から後に五万石の禄をもって、家老として迎えられています。これは本多政一氏からお聞きした事ですが、金沢城内は八万坪、本多家(上・中・下屋敷を含めて)は十万坪との事。その本多家の経済力は凄いものと思われ、事実、戦前には本多正樹氏名儀の重要美術品指定の太刀もあります。また、初代兼若の刀が入っていた本多家家紋散の豪華な太刀拵もあります。

 

さて、本多政重に関しては『埋忠押型』にもその指料が載っています。先年、金沢を訪れた時に『本多蔵品館』所蔵の政重公愛用の大身槍を一度手入れさせて頂きましたが、その重かった事。これを馬上で車輪の如く振り回し、関ヶ原、朝鮮の役、大坂の両度の役で活躍されたとされています。

 

さて、五万石の経済力からでしょう。本刀の金象嵌は誠に見事であり、おそらく加賀金工(後藤家)の手になるものかとも思われます。もちろん、『埋忠押型』にもあるように、江戸での埋忠家の細工とも思えますが、そうした点は全く不明です。それにしても、今迄に見た金平象眼の中で、一番記憶に残るものの一つです。

今から数年前、『刀剣美術』に脇指で加州家次の平造が紹介され、その中心(指裏)に「鳥屋入 政重(花押)」という金象嵌がある作が紹介されています。因みに、“鳥屋入”というのは、人生の最晩年を指すものと思われる言葉であり、歴戦の勇者中の勇者であった本多政重の晩年の指料とも考えられます。しかし、その脇指(家次)にある花押と、今回の脇指の花押は違いますが、景平の方の花押は寛永年紀のある本多政重の肖像画(『本多蔵品館』蔵)にあるものと同じです。さて、この景平の中心の指裏には、朱銘の痕跡があるようですが、判読不能です。

戦にあけくれた本多政重が指料として撰んだこの一尺三寸余の脇指ですが、“大”として無銘の刀があります。次回にこの“大”を紹介してみたいと思います。
(平成二十八年三月一日 文責・中原信夫)

ページトップ