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♮ 一振の追憶 その9(備州長舩盛光)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

脇指 銘
備州長舩盛光
応永廿年十月日
 
 
 
刃長/一尺四寸七分、反/一分八厘、大平(おおひら)造、真の棟、中心は生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
小板目肌がよくつみ、所々に杢目風の肌が大きく底に出る。刃区下から刃文と一緒に棒移が鮮明にあらわれ、鋩子の返先の辺に至る。
[刃文]
匂出来の直刃で、匂口は締り、刃中に小足が入る。
[鋩子]
直調で先は小丸、返は少し。

本刀は応永備前の雄・盛光の作です。平造で一尺前後の刃長はままみられますが、本刀のように寸法が一尺五寸位になるのは余りなく、それらには殆んど刀身彫が見られます。

 

世上、備前長舩物は名刀の代名詞とされ、愛好家も多いのですが、まさに古刀は備前物という事をあらわしています。したがって、古刀の姿恰好などは備前物を基準にして鑑定が成り立っているのであり、来でも粟田口でもないし、まして相州物(新藤五・正宗等)を基準にしているのでもありません。

 

鎌倉期の相州物などは、同時期の備前物に較べるべくもない程の、ごく少ない現存数なのです。いわば一地方刀工群にしかすぎないと言っても過言ではありません。殊に正宗は麻薬の様な存在であり、その味をしめたのが江戸時代の本阿弥家であり、戦後にかけては本阿弥家の正宗極を批判した本間順治氏でしょう。

在銘正真をもって基準としなければ、鑑定は成立しません。大愚行の例は、生中心で無銘短刀の正宗とされる不出来な三本を、戦後になって国宝にした点にある事を、あらためて強調しておきます。

 

さて、備前物においての一番の特徴は“移”にあります。つまり、室町中期頃迄の備前物には必ず乱移か棒移がなければいけません。この事には例外はないといっても良いものと考えています。したがって、備前物の古い作の無銘極において、移のない作については?を提起せざるを得ないものであって、その典型が長義極の刀でありますが、こうした点を今一度、愛好家も再考しなければなりません。

さて、本刀には押型の如く棒移が鮮明にあらわれていて、典型かつ健全な作であり、肥後国熊本藩主・細川斉護の指料と伝えています。
(平成二十八年三月十日 文責・中原信夫)

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