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INTELLIGENCE

♮ 折紙について・その2

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

前回に折紙のことについて触れたので、今回もまた、折紙についてお話をしてみたいと思います。

では前回の(A)を見てください。「代七千貫」という代付(だいづけ)がありますが、これは大判に直しますと350枚という破格のものになります。いくら志津三郎兼氏でも、ちょっと?といえましょう。もちろん、折紙の代付については不明確な点が多く、本阿弥家の中で恐らく内規があったと思われます。従って焼失したとされる『本阿弥家留帳』が現存すれば、かなり解明できたと思われます。

 

さて、(A)の「但シ折返銘之」という文言ですが“但”の次に“シ”という文字を入れていますが正真の折紙では、この“シ”という文字は使っておりません。

例えば、(C)図を見て下さい。「但 無銘也」と書き入れているのであって、“シ”の文字はありませんし、他の例(手許の資料)を見ましても“シ”と書き入れたのは未見であります。また、最後の文字の「之」(A)ですが(C)では“也”という文字でありまして、「シ」と同様に未見といってもよい程であります。

 

では、全体的な(A)の書体を見ていきましょう。最初の「濃州兼氏」の四文字の中心線ですが、少し左側に寄りすぎていて、通例の場合は今少し右側へ寄るはずである。そして、最後の年紀と本阿弥光忠の花押であるが、少し右側へ寄っていて、今少し、左側の方へ寄った場所へ書き入れるのが通例であります。こうした点は正真(真筆)なら守られていたと考えられます。

次に「正真」以下、花押までは誠に見事な書体となっていまして、部分的に見ていくと、区別(真偽)はつきかねます。それ程上手でありまして、恐らく相当、書き慣れていると思われます。つまり、この(A)の折紙の偽作者は、一枚や二枚ではなく、かなりの枚数を作っているとみるべきです。多分、正真の手本を手許において、練習をしたとみるべきで、共犯者もいた筈です。

 

それから「濃州兼氏」の書体ですが、本来ならこの所が一番大事なのですから、他の部分と同様、それ以上に流暢な、そして端正な書体で書くべきでありますが、書体に流暢さと端正さがなく、特に、「兼氏」に二文字は適当に筆を続けてしまっていますし、「氏」には端正、流暢さのカケラもなく「氏」の最終画の右斜目下への筆づかいは悪く、最後の終筆の所で中途半端な留(とめ)と跳(はね)をしています。本阿弥本家代々の当主は相当な癖のある字を書きますが、折紙は別であって、消息文などとは全く対照的に上品かつ端正で流暢でキレが良い字体であります。もっとも、この紙片一枚で高額の鑑定料が懐に入るのですから、絶対にゾンザイには書きません。

また、(A)の折紙の表面にある“汚れ”でありますが、適当に汚した感が強くあります。本来、折紙は大事にされ、包紙に包んで保存してあるものですから、こんなに理屈の合わないアトランダムな汚れ方はしません。古く見せるべく工作を施したと思われ、同じ事は書籍(写本)や後藤家の折紙にもよく見られます。

ちなみに、折紙の鑑定で一番大事なのは紙質ですが、これについては文字では仲々伝えられませんので、御了承ください。
(文責・中原信夫)

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