INTELLIGENCE
♮ 焼落(やきおとし)
Copywritting by Nobuo Nakahara
刀の社会には実に?なことが多くあります。まあ、どの分野にでもあることかもしれませんが・・・。では、その?の事を今回は取り上げてみたいと思います。それは焼落(やきおとし)についてです。
焼落というと、一般的には豊後行平や薩摩の古波平一派にあるとされ、最近の日刀保の見解では古い伯耆物にもあるとされています。昔は古い伯耆物に焼落があるとは言わなかったようにも思いますが、最近はこの点を逆手にとって焼落のある作を日刀保は古伯耆と極めるケースも出てきています。
私は拙著『刀の鑑賞』の初版以来ずっと、この焼落について「極めて問題のある所作」としてきましたし、四版目の普及版では焼落をさらに詳しく図示して水影と連動して説明を加えました。つまり、世間でよくいう水影と焼出移(やきだしうつり)とを取り違えたり、勘違いしているという点です。焼出移は新刀にも多くみられる事であって、何ら?のおこるものでもなかったのですが、堀川一派に水影が…という無責任な説明をしたため、一層、両方を取り違えたり誤解したり勘違いをしてきました。つまり、焼落部分(刃区より上部)から斜目にあらわれる移状の所作を水影というのであって、焼落もないのに水影というべきでもありませんし、明らかに間違えています。この事は刀剣杉田店の「豆知識」欄でもかなり以前に触れたと存じますので、確認していただければと存じます。
さて、この焼落と水影があれば再刃と考えるべきであって、それを我々は受け入れなければいけません。ただし、必ずこの焼落と水影はワンセットで必ずあるのかというと必ずではありません。一番重要なのは焼落という所作です。あとは、中心の錆の状態、刃幅と反具合、地肌の健全度と刃幅、匂口の状態、移の有無とその出方と鮮明度につきます。これらを総合判断しての結果として、再刃と考えれば理屈が通るという考え方を私はしてきました。
因みに、この焼落と全く対極(正反対)の所作としてあるのが、腰刃です。腰刃は(生中心の場合)鎺元辺に大乱を焼いたのをいいますが、古備前・一文字にもあるとされ末古刀では東海道筋の村正一派、島田等にあり、末備前、平安城長吉も有名です。
ではここで今一度、焼落の説明に戻りますが、従来から焼落のある古い作には「鎺元を焼落にすることによって、太刀が折れるのを防ぐために…」とされている事です。ならば腰刃は極めて危ない所作になります。焼落は鎺元にほとんど刃文(匂口)がないのをいいますが、腰刃はその反対でしかも大乱に焼幅を極端に広くしています。もうおわかりの如く、腰刃は褒めて理屈をいわないが、焼落は太刀が折れない、折れにくくするためとしてきました。これは全く矛盾もいいところでしょう。
第一、焼落にすれば折れにくくなり、また、折れないなら、全国の古い刀工達は必ずやっているはずだし、又やっていなければいけない。こうした簡単な?に今まで黙々と従ってきたのですから、刀の社会はすごい。
今から少し前、日刀保を退職した学芸員が某古美術雑誌に何故か連載で刀の話を書いていましたが、その折、引用した再刃の典型と再刃ではない例(安綱)の両方ともに、典型的な再刃であることを付記しておきます。この点については刀剣杉田店のサイト「豆知識」でも以前触れているので再見してください。
(文責・中原信夫)