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INTELLIGENCE

♮ 押型〜その2(刃文描写)

Copywritting by Nobuo Nakahara

前回は押型の線(刀の刃先・棟角・鎬筋など)のことについて、少し話しましたが、今回は刃文の描写についてお話ししたいと思います。

 

刃文の描写を刀絵図方式とするのを是とするか非とするか。私は刃文も実物に一致するように描くのが本当ですが、これは不可能です。描写の方法が違うので不可能といっているのではなく、前述の通り、平地の幅が不正確であるから刃幅が元々不一致というか、不正確というか、誤差が出てくるのです。したがって不可能といったまでです。ただし、匂口の深さや、刃文の形、そして足・砂流・金筋・移とされる所作を完全に近く描写する事は可能に近いのですが、真の刃文等の描写そのものではありません。つまり、巧い刃文描写であればある程、どこかでゴマ化しているという事にならざるを得ないのです。

 

そのゴマ化しを“雰囲気”というのかどうかは知りませんが、それらしく大体の程度で終えているのを絵図という表現になった、またはしたのなら、元来から押型の用途を誤って解釈しているとしか思えません。しかも、絵図は筆による描写と聞きますが、実際にどんな筆を使用しているのかを知らないし、知る必要もありません。

何故なら、実物に極力同じように描写するのが終局の目的ですから、そのためには敢えて細かい描写というか、仲々コントロールしにくい道具である筆を使うというのは、結果的に選択を誤っているとしか言いようがありません。全ては結果オーライなのです。

 

刃文の描写に私はシャープペンを長年使っていますが、最初は鉛筆を何本も揃えておいて描いていたのですが、考えてみればシャープペンの方が太さが安定していて使いやすく、それに変えたが、匂口が深い場合は鉛筆を使っています。つまり、長年の経験と勘で、そして私の表現方法を効果的に表現できる道具を選択しているだけで、別に他人に強制するつもりはありません。終局の目的に到達するために、自分の手に合った道具を使えば良いだけです。

何度も言いますが、押型そのものはメモであると私は考えていますので、実物を思い出したり、読者の方に実際に実物を見てもらっているが如き役目をする押型を残すべきと考えるだけであって、したがって、“押型はメモ”と考えるのです。

 

私の手持資料の中に、戦前の刀剣商であり、頭の軟らかい優れた研究者であった藤代義雄氏の押型が何枚かありますが、中心押型は別にして、刃文描写は巧いと思います。因みに、雰囲気は刀絵図よりはるかに程度が上です。私はこれを参考にさせていただきました。

読者一般の方はこの藤代義雄氏の押型を『日本刀工辞典』でよく見ておられると思いますが、この本は押型(中心・刃文)を縮小版にしてあるので、アラ(欠点)が目立ちにくくなって、非常に細かく丁寧に読者の目に映る筈です。押型、ことに刃文は原寸で見るとアラが見事に目立つものであり、印刷すると、さらに別のアラが出てきます。最近はデジタル製版印刷になって、以前の印刷方法では見えなかったアラも鮮明になるケースも往々にしてあります。いずれにしても押型は難しいのですが、本当にとり飽きた?・・・・。
(文責・中原信夫)

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