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INTELLIGENCE

♮ 押型〜その3(印刷インクによる中心押型は罪悪である)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

今回も押型について。少々くどいようですが・・・。

押型というと中心の形状、銘字、ヤスリなどをとったものと、切先近辺の刃文を概ね写すものですが、今回は中心の押型について述べておきたいと思います。

私の先輩の先生達の中で、何人かの先生達は中心の押型をとりなさい。そうすれば銘が(真偽)わかるようになると、よく話されたり、本に書かれたのも事実です。私は別にそれを信じて押型をとり始めたのではありませんが、押型をとる技術があって良かったと思っています。

 

さて、銘字をとる中心押型では大体4つの方法があります。第1に石華墨、第2に印刷インクを中心に塗ってやる方法、第3にカーボン紙でとる方法、第4が水拓といわれる方法ですが、一番やってはいけないのが印刷インクによるものです。

戦前、藤代義雄氏が始めたとされ、現在に至るも、主に藤代系の流れをくむ研職・刀剣商で行われています。何故いけないのか。答は簡単です。インクを除去するのには油性の溶剤を使うしかないからです。この溶剤は錆についた長年の人間の手脂等を一挙に落としてしまって、錆色の光沢を一変させてしまいます。これは罪悪です。中心がピカピカ光っている現代刀なら目をつぶって見過ごしてもかまいませんが、善良かつ素晴らしい錆色になった中心にこれを行うのは、百年以上もの間、育てた錆色を取り去る事になって、その刀の伝来を否定しかねない結果となり罪悪です。

中心の錆状態は昔から、その刀の伝来等を無言で知らせる一番の見所です。私も今迄に、銘字は○だが、錆色が×ではなく?の状態になったのを多く見てきました。その中に前述の方式を施されたものがあると思われます。つまり、それらに一つの共通した色合があるのであって、印刷インクによる中心押型は絶対になくすべきであり、やってはいけないのです。

 

もうかなり以前、日刀保の新作刀展への出品作に対する講評の中で、当時の日刀保会長が「新身の中心に錆がついているのがあるが、これは言語同断で、武士の魂を錆びさせて出品するとは・・・」との意味を機関誌に載せていました。ただし、刀がわからない会長に講評させるのがまず間違っているし、編集会議で何とか出来なかったのでしょうか。こうしたピント外れの考え方は論外として、一番嫌われる錆が、中心に自然発生的に段々とついて、大事な中心を保護するのであり、これ以上の働をするものはありません。しかも、火に罹れば錆は変化するので、昔から中心の錆を賞で、そして大事に育ててきたのであって、独特の艶のある光沢が本来の錆色と相俟って、伝来の良さを示すのです。

因に、武士の魂である中心に錆がつかないと、とんでもない事になるという事、そしてその錆が何百年の歴史を如実に示し物語るという事をよく認識するべきです。
(文責・中原信夫)

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