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INTELLIGENCE

♮ 一振の追憶 その18(国次)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

刀  銘
国次(紀伊国・簀戸)

刃長/一尺九寸八分五厘、反/六分三厘、本造、行の棟、中心は殆んど生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
小板目肌に板目肌が交じり、少し流れ心がある。総体に粕立つ気味の地肌で白気移が出る。
[刃文]
匂出来の直刃で、刃幅ややは狭い。匂口は締り心で小沸がよくつき、物打辺から横手上に二重刃状が地に所作する。
[鋩子]
直状で少し弯心、先は焼詰心となり二重刃状に所作する。

本刀は刃長としては脇指の寸法になりますが、おそらく刀としての用途かと思われたので、特に"刀"として表記しましたが、同作の典型かつ上出来です。

この国次は紀伊国・簀戸(すど)一派であり、時代的には永正頃かと思われます。

 

古刀期における紀州の郷土刀といえば、この簀戸国次と入鹿一派になりますが、共に現存刀は至って少なく、昔から好事家の愛刀というパターンであって、珍品の部類に入ります。

簀戸一派は粉河寺近くにいたとされ、昔から相州国次と同人説がありますが、同人説には賛成出来ません。第一に相州国次とは銘振が全く違うからであり、断定は仲々出来ませんがその可能性が高いと思います。

 

さて、簀戸国次には刀が少なく、短刀(小脇指)が少ないながらも経眼した作があります。その中には皆焼があって、それ故に相州との関連が指摘されてきた感がありますが、皆焼は室町期、殊に中期以降には各地にあり、相州傳とは何のゆかりも関係もない末備前でもでもみられます。つまり、与三左衛門尉祐定、宗光勝光然りです。

ただ、本刀にある二重・三重刃の所作ですが、もし本刀が無銘にされれば、何の極めを付すのでしょうか。こうした二重・三重刃が地に所作する様式は古い作例にある様です。しかし、昔から身幅に較べて狭すぎる刃幅の作は地方作に見よとの教があり、この簀戸国次も、そうした意味では慣れた入札鑑定者にはすぐに簀戸国次といけるものでしょう。

 

ただし、刃幅が狭いのは研減ったためであり、減り相応の刃幅になるのは決して悪いのではありません。そんな事をいうなら糸直刃が特徴とされる相州・新藤五国光の短刀などは刃幅が広いのは至って稀であり×となります。しかし、新藤五国光には"この糸直刃は良いね!!"と感心し、本刀を余り褒めないのは果して正解でしょうか。

もっとも、新藤五国光も典型的な地方刀工ではありますが、後の正宗を褒めたいので、ケナす訳にもいかないし・・・。そこに大きな陥穴が潜んでいると思われます。世上よくいる相州伝・正宗狂信者には頭を冷やして頂きたいものです。
(文責・中原信夫)

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