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♮ 一振の追憶 その19(浜崎住重明)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

短刀 銘
浜崎住重明
山口民部少輔

刃長/七寸三分八厘、反/ほんの少し、平造、行の棟、中心は殆んど生で孔は二つ。
 
 
[地肌]
小板目肌に少し流れ心の肌が交じる
[刃文]
匂口が締り心となった直状に小乱が交じり、刃中に小足や匂崩(においくずれ)が入る。
[鋩子]
乱込、表は島刃、裏も島刃が二つくっついた様になり、返の焼幅広く乱交じり、刃中に匂崩が出て、深く、棟区まであり、棟区下で大きく焼込む。

本刀は初見ですが、古刀期における肥前刀工は極めて稀です。また、浜崎というのは現・佐賀県浜玉町で、唐津の近くです。したがって、同工の師傳や系譜も不明であり、作風というのは限定出来ませんが、強いて言うなら本刀は伯耆国広賀を少しおとなしくした様なものでしょう。

 

また、昔から西海道(九州)に寸詰短刀は無いという教でしたが、これは単にたとえとして言ったのであり、つまりは末備前が圧倒的に多く現存しますが、それに較べて西海道には無いに等しい位にしか現存しないという意味です。

因みに、西海道には金剛兵衛、末延寿、末波平、日州、平髙田、筑紫信国と了戒に寸詰短刀がある。しかし、肥前国における作は初見でした。本刀の裏銘はおそらく所持者か注文主でしょうか、

 

その銘振は多分、重明自身の刻銘と思われますが、単に“浜崎住”とあり、浜崎近辺の武士かと思われます。因みに、昨年(平成二十七年)に「肥州浜崎住重定」裏に「天文十八年八月吉日」と刻った刀を経眼しましたが、錆身のため地刃は殆んど不明でした。

いづれにしても本短刀と同族と思われますが、重定は銘鑑になく重貞は天文頃として掲載されています。これは銘鑑編集時の何らかの誤りかもしれません。
(文責・中原信夫)

 

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