INTELLIGENCE
♮ 「焼落」(やきおとし)について
Copywritting by Nobuo Nakahara
焼落という語句からは良い感じが連想されにくいが、最近の日刀保の解説や、以前、日刀保の学芸員であった人が、この焼落というのを別次元で「見所」(みどころ)の一つとして堂々と述べているので、私なりに警告しておきたい。
それは、焼落がある太刀の製作国・作者の最大の極所(きわめどころ)や特徴として必ずあげたのが、この焼落である。従来から焼落があるのは九州の古い作、つまり、豊後国行平・定秀、薩摩国古波平という事になっていたが、この焼落がある範疇を最近になって古伯耆や古備前にも拡げ始めている。
先日(平成二十九年秋)某美術館で開催されていた重美の指定品ばかりの展覧会を見に行った折、豊後行平の刀銘の太刀が出品されていたが、この太刀には焼落はなかったし、展示説明にも焼落はありませんとの説明はなかった。同展のカタログの説明には「(行平には)刃区上で焼き落とすものが多く存在する」とは説明しているが、この重美太刀には焼落はないので珍しい作・・・などとさえ一言も説明していない。
私は何が何でも焼落のみで真偽等を決めろとは言ってはいないのであり、明らかに昔からの見所でもあり、焼落のある作者の最右翼・行平にある一番の見所には一切無説明である。
昔から、何故焼落にするのかは「太刀を折れにくくするため」と説明されているが、それなら太刀は全国的に焼落にしたはず。こうした幼稚極まる言訳を、昔からよくも堂々と述べたなあと感心する。もっとも、この重美行平は昭和十四年指定であり、大徳川家傅来となっているが、戦前なら行平に焼落は必ずつきものであるとされていた時代。それを十二分に知っていた重美審査員はどのように説明するのか。『重美全集』の説明に、この時の審査員談として「同作中でも出色の部に入る」としているのみ。一言半句も焼落の件については触れていない。同書の編集人も焼落がない点には一切触れていないのも不思議。
私は展示で十分に見たが、焼落はないと判断したし、あれば必ず展示説明に書いたはず。それがないので、焼落を私が見落としたことにはならない。加えて、もし焼落があったのに、逆に研の折に繕ったのか、いや、それは逆であろう。焼落があるならそのままにしておけば良いだけである。
さて問題はそれから先である。いつの頃からか、日刀保は機関誌等で焼落は古伯耆にもあるなどと言いはじめ、毛利家伝来の安綱や古伯耆とされている真景在銘の太刀でも最近もそのように解説している。焼落があるのもあればないのもあるという言訳なら、鑑定など金輪際不可能となる。
さらに、つい最近は古備前とされる太刀の説明にも焼落があると堂々と言いはじめた。これでは際限なく焼落が拡げられていく(拡がっていくのではない)。古青江にも古二王にも、そして来にも粟田口にもと言うことになる。因みに、鎺元を焼込のが特徴とされる粟田口吉光や新藤五国光にも焼落があると言い出すかもしれず、今から楽しみである!!
ついでにいうと、太刀の先反についても、古伯耆物には、先反がつくのも、先伏しとなるのもあると堂々と言い始めているが、太刀の先伏し姿は第一に健全度によるものであって、流派によるものでも地方色によるものではない。
このように、見所、極所をなし崩し的に無理論、無理屈的に拡げてしまうやり方は絶対に容認できない。昔からの見所、極所が全てOKとはいわないが、最近の日刀保の無節操な鑑定と説明には呆れるばかりである。
つまり、焼落の有無の前に、もっと中心の状態の精査(錆やヤスリ目の残存状態)が不可欠。大根おろしができるような凹凹(凸凹ではない)のある中心に古伯耆真景の中心写真を堂々と掲載しているが何を考えているのか、それを質したい。何回も再刄されているかもしれない典型として掲載したのではないと思われるが・・・。
(文責・中原信夫 平成三十年三月一日)(平成三十年十一月一日 一部訂正・加筆)