中原フォーラム HOME
INTELLIGENCE

♮ 焼落について再度

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

先稿で焼落についての解釈と適用範囲を少しづつ拡げ始めた日刀保の見解について警告したが、それに関して面白い押型を見い出したので紹介する。

では(1)・(2)を見てください。これは4年程前に『刀剣美術』の誌上鑑定で又、今回も使用された伯耆安綱である。(2)を見ていただければ鮮明な焼落が押型に描かれているし、他本での本刀の説明にも焼落としているので紛れもない事実。(2)の焼落部(刃区上約八分)から移状にあらわれているのは典型的な水影である。

次に(3)を見てください。(1)と(3)は同じ中心でありますが、(3)は『埋忠銘鑑』に所載であります。この『埋忠銘鑑』は白金職・埋忠家の細工控帳であり、『光山押型』などとは性格が違うが、共に貴重な資料となっている。今回、使用したのは昭和43年刊の雄山閣版であり、それ以前に大正6年と昭和7年に流布本が印刷されているらしいが、いづれにしても原本はなく、しかも筆写本であるが故に、その表現の正確さには完璧を求めにくいのであるが、致し方のない所である。

 

さて、(1)と(3)は同じ中心であり、決め手は中心先(中心尻)の「切懸(きりかけ)」であろう。切懸とは中心尻の変形状態を指すもので、明治時代の今村長賀の自筆本にも出てくる。

(3)を見ると刃文は焼落になっていない。しかし(1)ではなっている。こう書くと、必ず「筆写本だから刃文の描写はあてにならない・・・」という反駁があるが、『光山押型』でも確かにそうであるが、本阿弥家も埋忠も刀のプロでありそういう点は厳しく見ていた。現にそれを証明する押型が両書にあるが、今はこの安綱について言及したい。

では(4)を見てください。これは剣掃文庫旧蔵の写本で『刀脇之覚ノ本』と題したもので「本□弥兵十郎 門人 桶盛義 傳授」(※□は阿)と副題のあるもの。見開部には「埋忠市兵衛 正利(花押)」そして「天保十五年十月廿日 染筆 同月廿七日 終功 墨付 七拾四枚」という墨書紙片が貼り付けてある。(4)はこの筆写本に所載のものである。この本の内容は『埋忠銘鑑』と全く同じであり、『埋忠銘鑑』(雄山閣版)は文政十一年に筆写したものをそのまま再版したと思われるが、部分的に別人の書入があり、それも一緒くたに印刷してしまっているが、この別人とはおそらく今村長賀であろう。したがって、今回の(4)所載本と(3)所載本には注記などに少し違う部分があり、互いに参考になる。

 

焼落の本題に入りたいと思う。この安綱は当時(江戸最初期)誰の所有かわからない。埋忠に細工に来たという事は鎺か何か金具の製作でのことであろうが、全く両本ともに注記がない。因みに『光山押型』を調べたが該当はない。

以上で、おそらく江戸最初期迄は(1)には焼落はなく、その後に現在の(1)の焼落状態になったと考えられよう。したがって、この安綱の説明に焼落があるので古い伯耆物にも焼落があるとの解釈は矛盾としなければならず、これをさらに拡げるのは恥の上塗り以外になく、早々に訂正するべきと考える。

つまり、本刀安綱は再刄であるという事であり、(2)にある所作を水影とする。そして、(1)の中心の錆状態はいつも私が指摘している状態の典型であるが、この安綱はまだましで、大根おろしが出来る程に凹凹になった伯耆真景を機関誌に掲載するのは大きな混乱を招く。指導的立場にあたるとされる日刀保に猛省を促したい。

 

このように私が書くと、揚足取りをしているかの様に喧伝する人達がいるので、はっきりと申し述べておく。それは、第一に再刄、または再刄の恐れがかなり濃厚なものは極めて残念ながら、そうした表示をしないといけないと思う。第二に(1)のようなものを基準にして焼落は伯耆物にあるとの拡大解釈を愛刀家に植えつける点が大問題である。古備前にも古青江にも焼落があると言い始めたらどういう事になるか。指導的団体であるとされる日刀保の見識を問われているのである。

 

以上、焼落について申し上げたが、一つ最後にお断りしておく。それは、この安綱を現在所有しておられる方がいると思うが、私の言及したのはただただ学問・鑑定上のものであり、刀をおとしめたいためのものでは全くないのである事を是非ご理解いただきたいのである。

今一度申し上げておきたいのは、(1)は再刄であろうというのは、(3)・(4)を見なくてもわかる。なのに、日刀保は(1)を再刄としては扱わないだけなら見解の相違で押し通してもいいが、それに付け加えて伯耆物の特徴の一つとして焼落をわざわざ新しく喧伝し、その根拠の大きな一つとして(1)をあげたのである。どう考えても全く理屈が通らない。この点を私が警告したのである。
(文責・中原信夫 平成三十年六月十五日)

ページトップ