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♮ 一振の追憶 その22(和泉守藤原国貞・折返銘)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

脇指 銘
和泉守藤原国貞(折返銘)

刃長/一尺九寸二分二厘、反/五分弱、本造、行の棟、中心は三寸七分程の磨上、孔は三つ。
 
 
[地肌]
小板目肌がよく詰んで少し肌立ち、精美な肌合となる。
[刃文]
小沸出来の浅い弯刃となり、総体に匂口がフックラとして叢がない。所々に五の目や、少し尖り心の乱やコズんだ乱が交じり、足が入る。指裏には飛焼が出る。
[鋩子]
直調で少し弯心で深く、一枚となる。先は小丸で返は少し。棟焼が中程迄出る。

本刀は今から23年程前にお預かりしたものですが、今でも強く印象に残っています。それは新刀で磨上て折返銘である事と、出来が典型で上出来であった事によります。もちろん、私は親国貞が好きなのですが、その主観で全ての刀を評価はしていません。したがって、私が嫌いな虎徹、清麿、国広も出来がいいのは決して嫌いではない事を誤解しないでほしいのです。

 

さて、本刀は明治頃に軍刀にでも供されたのでしょうか。注目していただきたいのは折返部分であり、表裏の折返部の長さが違いますが、指表側の「守」の部分の長さが実際の折返部(突出部)の長さであり、裏の「藤」の半分は折返の丸く曲げられた所にあたる銘字を全て写し取ったものです。

したがって、折返された銘字部の内部(裏面)は細い孔状の空洞になっている訳であり、典型的な折返銘です。しかし、世上。折返銘に見せかけた巧妙な細工が存在し、殊に古名刀にそれが多くあります。この事は『随筆 東鑑』という写本(江戸後期)・(剣掃文庫旧蔵・日刀保資料室蔵)でも注意を呼びかけています。それには元禄頃より巧妙な折返銘(江戸時代は必ず折廻銘)や額銘が増えているとしているのには、注目しなければいけません。

 

さて、本刀の地刃は親国貞の典型であり、元来の姿に戻してみれば、二尺三寸余、反が深く、先細りで中切先が延びる姿であり、典型的な親国貞の時代・寛永頃になります。最近は、この親国貞の銘字を細かく分類して、真改代作時代の銘は云々・・・というのみならず、わざわざ証書に“和泉守国貞(二代)”と入れたものもありますが、何故に(二代)と特別に入れるのでしょうか。真改銘でなければ、親国貞の責任で当時世に出した作です。後世になって、わざわざ(二代)と特記する必要がどこにあるのでしょうか。

 

これは、親国貞より真改が上ランクとみての仕業であり、子供の真改から親の国貞をみたもので、流れとしては完全に逆行した考え方です。こうした逆行を却って学問的なものとして捉える方が間違っています。それと。何故に(二代)と入れるのか、これは特定の商人が高く売るために依頼したとも思われる行為ですが、そうした要望に媚び、また、受け入れる審査側の無節操さには呆れます。

大坂新刀の礎を築いた親国貞と親国助については、既述してあるのでそれを参照していただきたいと思います。
(文責・中原信夫)

 

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