INTELLIGENCE
♮ 偽作者
Copywritting by Nobuo Nakahara
刀のみならず、美術品の範疇には必ず偽作という厄介物が紛れ込んでいる。この偽作であるが、一見して×とわかる程度の作なら笑って済ませられるが、専門家も頭をひねる程の偽作が少なからず存在する。一般社会から見れば刀社会には偽作があふれている社会と見られがちであるが、これは完全な冤罪である。
今までに私も以下の話をよく聞かされた。つまり、「刀を色々と買ったがほとんど偽作でした。刀には偽作が多いので、もう刀はやめました。これからは絵画にします・・・」という類いの話である。
刀は美術品の範疇の中で真偽がかなり判明するのである。だから、○と×がはっきりとするケースが多い。しかしながら、刀以外のジャンルでは、どれが×やら○か訳がわからないから問題にならないだけであって、偽作が刀より少ないという事ではない。
さて、最近、(平成28年夏)『刀剣美術』を読んでいたら、細田平次郎直光についての一般向けの軽い話を載せていた。「直光は、名刀工・大慶直胤の門人で、鍛冶平と評判をとるほどの刀工でしたが、名刀に偽名を入れて裏稼ぎをする不心得者でもありました。」
これは偽作者として有名な鍛冶平を説明したのでしょうが、“名刀に偽名を入れ”とは意味不明の表現である。正しくは、自作の刀に名工の銘を入れてという事でありましょう。
別に細田直光を弁護する気はありませんが、戦前の『江戸三作の研究』(藤代義雄著)では初代・月山貞一が刻った偽銘として、堂々と偽作者・月山貞一と明記しています。これは、当時には確たる証拠があったので、文字化したと思われますが、現代ならば名誉毀損の話でありましょう。しかし、月山家から著者に抗議をしたとは聞いていませんが、事実あったのかどうかもしりませんが、事実だから何とも反論出来なかったという事も考えられます。
いづれの世にも偽作者はいる。それはまず喰えない(生活苦)ために、しょうがなくやったのかもしれませんが、この二人については、それだけではない気がする。一種の愉快犯であろうか・・・。
それにしても、鍛冶平と初代月山貞一の呼び方のニュアンスの違いには、何となく?という感じがして鍛冶平の方が少し可哀想という気がするが、皆様は如何であろうか。
因みに、自家製造の偽作よりも姿を現さない偽作者(刀工のみとは限らない)の方が極めて巧妙でこわい。刀身と中心仕立・刻銘とを分業で偽作をするから始末が悪い。
(文責・中原信夫)