INTELLIGENCE
♮ 金象嵌銘と切付銘
Copywritting by Nobuo Nakahara
刀というのは、斬味が良くなければいけません。従って、刀はよく斬れます。つまり、現代風にいうと、刀はよく斬れるから“怖い(こわい)”という感覚で捉えられ、全く見向きもしなくなるどころか、近づかない遠い遠い存在になってしまいました。
私は、刀が怖いのではなく人間が怖いのであると、いつもいうのです。刀は自身では絶対に動きません。その刀を手に持って使うから怖いのです。つまり、人間が一番厄介且つ、怖い存在。もっとも、その刀を作り出したのは人間ですから、刀に責任はありません。
昔から刀の鑑定という事がいわれますが、この鑑定というのは、刀の“目利”(めきき)ということから始まりました。では、目利とは何でしょうか。つまり、刀の斬味を目利するという事で、刀は武士にとって道具であり、その道具がどのような性能を持っているのか、つまり、斬味がどういう程度かを見極めるのが目利です。それが展開して今の鑑定ということになったのです。
さて、斬味というと、江戸時代に入って刀の中心に斬味の文言を金象嵌で施すといった事が盛んになってきました。武士の表道具の刀に、金象嵌を施させる・・・しかし、この金象嵌は高価につきます。つまり、刀の斬味を実際に試すのですが、これには半ば、専門職に依頼します。江戸初期なら山野勘十郎とか、中川左平太、根津三郎光政等々の人達です。勿論、こうした人達に依頼すれば料金がかかります。そして、その成果を刀の中心に金象嵌で施しますが、この金象嵌は平象嵌であって高技𠈓を伴います。そして、金地も極めて高く、平象嵌の細工賃や手間代、材料代を含めると莫大なお金が必要となります。しかし、表道具である刀には、そうした負担までしても必要性があったのです。
しかし、こうした金象嵌も元禄頃を境目にして、時代が下るにしたがって激減していきます。恐らく、最盛期は万治、寛文、延宝頃であって、江戸新刀の隆盛期と重なります。勿論、江戸における諸作業(試斬と象嵌)であることが圧倒的でしょう。とはいうものの、元禄頃を過ぎると金象嵌による工作は段々と見かけることは少なくなってきますが、決して、刀に対する斬味の考え方は根本的に変わった訳ではありません。ただ、刀が単なる表道具であるというイメージが強くなってきたのも事実ですが、それだけではあんなに盛んに行われた金象嵌が廃れるという根本的な理由にはなりにくいのです。
では、何があったのか。それは武士の経済的な行詰りがあったと考えた方が合理的です。勿論、尚武の気風も失ってはいませんが、家計が苦しくて、高価過ぎる金象嵌は段々と遠慮されてきたのでしょう。従って、それに代わるものとして、単に中心に鏨で刻字すれば安価にできます。こうした背景があったと思われるのです。
しかも、そうした風潮は幕末にまで続いています。刀のこうした細工に、江戸初期から幕末に至るまでの経済情況を重ね合わせてみると、前述のような現象が恐らく殆ど一致して出てくると思うのです。
とかく、現代人は金象嵌を簡単に捉えがちです。「金」は昔から時の権力者が最重要視した物質であり、徳川家康なども駿府城の倉の床が抜ける程の「金」を溜め込んだといわれています。
また、戦国の雄・黒田家も重代の刀に拵をつける際、印子(いんす)つまり純金地を埋忠家に提供していますが、その際にはちゃんと重量を計って細工に出しています。それ程、貴重な「金」であったのです。
(文責・中原信夫)