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INTELLIGENCE

♮ 荒沸・叢沸・芋蔓の解説不足

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

 入札鑑定会では、慣れてくると確かに作者名を当てる事はできるようになる。それは“当たる”作者名の鑑定刀をややもすれば出したがる傾向が主催者・講師側に強くなってくるからで、極端に言えば「さあ当ててください」と言わんばかりの鑑定刀さえ出品する時もある。そうしたケースに薩摩新刀・新々刀があり、刃文に荒沸・叢沸(むらにえ)・芋蔓(いもづる)がウヨウヨある作例を出品して、「ここに荒沸・叢沸があります。それから長い筋状のものがあり、これを昔から芋蔓といって薩摩の特徴であります・・・」と講師は解説する。

 

 確かに、この解説に間違はないのであるが、本質を忘れてしまい、名前・刀工群を当てるためだけのための捉え所としての結果を段々と強めるのである。極端な例としては、解説や誌上鑑定において、荒沸・叢沸・芋蔓を覇気のある働として説明してしまうので、考えなくとも国と時代はわかってしまう。しかし、覇気のあると言う表現は、刀そのものの出来・不出来を曖昧な表現で誤魔化し、出来の良否については何ら解説していない。

 もっと困るのは、こうした一番歓迎できない作風で薩摩新刀・新々刀はこれでいいのであり、それしかないと勝手に捉えている人達もいる事である。これでは、当てることのみの入札鑑定会となっていくのは当然であって、数寄者・愛好家に一番肝心な出来そのものの捉え方を解説しないのでは困ったものである。

 ただし、薩摩新刀・新々刀で荒沸・叢沸・芋蔓のあらわれた作刀は、かなり多いのであって、現存刀が多い作風を第一番に強調するのは必ずしも間違とは言えない。では、前述のような三つの所作を呈しない薩摩新刀・新々刀は存在するのか。答は「少ないが存在する」のである。

 

 ではここからが正念場である。多く(圧倒的かも知れない)の作にある共通の特徴(荒沸・叢沸・芋蔓)の所作を教えた上で、数量は少ないが、このような所作・特徴がないか、殆んど見られないものがある。それらの少数の作は上出来であると強調しなければいけないが、そんな解説をする鑑定会、そして誌上鑑定解説は見当たらないといっても過言ではない。こんな状況では“当てる”事にのみに奔走し、満点を取って一人悦に入るエセ愛好家を量産することになってしまう。現にそういう傾向が強いケースが目立つのである。

 

 日刀保の入札鑑定会においては、方針を転換するというが、本欄でも既述したが、今一度、本来の形に戻り、原点を見つめ直していくべきであろう。

 私は30年以上も前から、日刀保・鹿児島県支部の研究会で、「荒沸・叢沸・芋蔓があるのは不出来であります。これらが出来るだけないか、極力少ないのが上出来であって、それは特注の可能性が多い。こうした見方で愛好してください」と強調してきた。他の研究会でも全く同様に強調してきた。

 是非共、皆様に参考にしていただき、実践していただきたいと念願する次第であります。
(文責・中原信夫)

 

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