INTELLIGENCE
♮ 一振の追憶 その28(肥前国陸奥守忠吉)
Copywritting by Nobuo Nakahara
- 脇指 銘
- 肥前国陸奥守忠吉
刃長/一尺九寸三分弱、反/五分弱、本造、行の棟、中心は生で孔は一つ、鎬高目 - [地肌]
- 小板目肌がよくつみ、精美な感じとなる。
- [刃文]
- 小沸出来の浅い弯状となり、沸匂が深く、刃縁が締り総体に帯状の匂口となる。刃中に小沸が凝って小足状となる。
- [鋩子]
- 直状で先は中丸で掃掛状となり、返は樋先辺。
三代陸奥守忠吉は、親の二代より早く死去したので、自身の銘のみを刻った作が親の二代に較べて極めて少ないとされています。当然ではありますが、二代が六十年にもわたる作刀期間がありますので、子供の三代が手助をしている事は、中心仕立での鑢目が右上りのものが、それに該当するとされています。ですが、こうした見所を覆す資料は出現していないので、従来通りとする外ありません。
また、本刀の中心棟の仕立(肉置)は脇指の仕立の肉置となっているので、一尺九寸余であっても、大脇指としての用途であったと思われます。
一般的には、三代忠広の作が少ないため、珍重される傾向がかなり強いようです。
しかし、私は二代忠広という大きな基礎があっての三代忠吉であったと考えるべきで、単に現存刀が少ないからという理由のみが先行した捉え方には、ちょっと賛成しかねるのです。
私は、二代忠広が肥前刀大隆盛の根本であり、初代忠吉がその先導者であったと解し、初代忠広時代が大工房としての出発点であり、完成させたのが二代忠広と考えています。
(文責・中原信夫)