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♮ 一振の追憶 その34(国重作)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

脇指  銘
南無妙法蓮華経 国重作
三十番神

刃長/一尺二寸四分、反/一分三厘、長巻直造、行の棟、中心は生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
小杢目肌に板目肌が交じって肌立気味。鎬地の棟寄りに少し流れ肌あり。棒移がでる。
[刃文]
匂出来、中程までは浅い五の目が直調となり、それから上は不整な五の目がある。
[鋩子]
表は弯心、裏は直状で先は尖り心となる。返は深く棟焼がでる。

本刀は国重作としかありませんが、銘字と中心尻からみて明らかに古水田国重の作です。古水田一派はあまり研究会等で出品されることもなく、いわゆる鑑定難なものですが、短寸の作は好事家によろこばれて愛蔵される傾向が強いものです。本刀には年紀がありませんが、天正頃かと思われます。

 

さて、本刀には“南無妙法蓮華経”とあり仏教ですが、裏に“三十番神”とあり神道であります。この銘文は現代人にとってかなり奇妙に思われるでしょうが、明治の廃仏毀釈までは全国の神社の横に寺がありました。というか、寺の横(隣)に神社があった。これで当り前なのです。つまり神仏混交でした。大分県の宇佐神宮などは有名な例です。

因みに“三十番神”とは岡山県の吉備津神社を指すものですが、その由来は日蓮宗の教えを拡めるために番神制といって有名な神社三十箇所を各々あてていた事にあります。

 

本阿弥家の菩提寺・本法寺(京都)に本阿弥光二らが寄進した番神があったとされ、この番神の現存を確かめようと、私が先年、本法寺に『本阿弥家の人々』刊行の前に照会したら、本法寺からの返事に私を不勉強(寺は仏様であり神社とは全く別であるとの意)と何らの返答もなく問答無用とされた事がありました。不勉強はどちらの方でしょうかね。

 

いずれにしても明治新政府の行った廃仏毀釈は、日本の美術品の膨大な海外流出を招き大罪を犯しましたし、日本人の精神をも変えた結果になっています。太平洋戦争後の刀の流出などは、それに較べると微々たるものと言えます。
(文責・中原信夫)

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