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INTELLIGENCE

♮ 入札鑑定会での方式と同然表〈その三〉

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

次に、入札鑑定会での採点基準としている同然表であるが、基本は師弟・親子・兄弟は同然扱とするとされている。しかし、この同然表にも欠陥がある。それは現在使用されている回答方式での欠陥である。

例えば、長光の作に兼光と入札すると、親子・師弟・兄弟の位置関係外となってしまうので当然、「能候」と回答せざるを得ないが、戦前は「釣合(つりあい)」という回答があった。つまり、同系ではあっても師弟・親子・兄弟という位置にはいないで、一期間ズレているケースでの回答であり、正確には「釣合にて能候」であるこの回答は是非、使用していきたいと念願している。

勿論、長光と兼光では姿・地刃等が違うと言ってしまえばおしまいであるが、それを区別出来にくいのでこういうケースが出るし、ある程度の区別が出来るように誘導するのが入札鑑定会での回答であり同然表でもある。つまり、同然表は「使うもの」(方便)であり「使われるもの」ではない。

 

現在、日刀保では各団体・各書籍の同然表を比較検討して『入札鑑定同然表』なる基準を示したというが、大変結構であるが、依然として二区分方式であるし、日刀保の使用する鑑定刀については、本欄・拙著にて度々指摘しているように再刃・偽銘の歴然とした作例を、その『入札鑑定同然表』にも勘案したのなら「糞交じりの味噌」となってしまう事に気づいていない。もっとも、味噌交じりの糞ではない点が少しはマシ?

勿論、私の使用する回答・同然表が完璧という事を表明しているのではないことをお断りしておくが、基本的な知識に結果としての誤(認識のズレ)があるという事である。「入札者と判者の回答についての認識に齟齬(そご・ズレ)が生じる」というような、善人的逃口上では絶対に真の愛刀家を育てられない。誰のための言訳であるのか・・・。

 

かなり以前、私の研究会で末波平の作を鑑定刀に使用したが、他会派で育った古参入札者が「金剛兵衛」と入札、私は「通り」と回答したら、開札後に文句を言ってきた。確かに金剛兵衛と末波平を同然とする方式はあるが、使用した末波平は金剛兵衛とみる所作甚だ少なく、このような回答になった。この古参入札者は自分の使用する同然表をタテに、あくまで点数に拘ったのであるが、金剛兵衛で「通り」なら、次には必ず末波平に入札できるものである。

こうした同然表を楯にとっただけの点取り盲者は、入札の何たるかを全く理解していないし、この人物を育てた会派の指導者にも責任の一端はある。

 

全ての末波平と金剛兵衛を同然にしたら、何の効果も進歩もない。そうした事からみて、同然表は「使うもの」であるが、「使われてはいけない」のである。要は同然表は使い方次第であり、判者講師の技量でもあり方便でもある。

因みに、『日本刀の掟と特徴』にもある「イヤ筋」という回答であるが、これは“正宗十晢及貞宗三哲相互に入札した場合”とあるが、私はこれは無視している。というのは、正宗・貞宗を私は理論的にも認めていないからであり、その在銘正真のない正宗・貞宗の弟子なるものは存在そのものが当然考えられないからである。

しかし、日刀保は正宗・貞宗の指定品を量産している事実から、こうした回答を使用しておられるかどうかとは思うが・・・。

「本阿弥光遜」を嫌うのも勝手だが、一種の劣等感の塊からくる愚策としか言いようがない。光遜の主張の良い点は摂り入れるべきであったのではないでしょうか・・・。
(文責・中原信夫  令和二年二月四日)

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