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INTELLIGENCE

♮ 一振の追憶 その45(備州長船祐定)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

〈その三〉

 

刀   銘
備州長船祐定
永正三年八月吉日

刃長/二尺一寸九分五厘、反/八分、本造、行の棟、中心は少し磨上、孔は二つ。
(棟角が一番厚い造込)
 
 
[地肌]
小杢目状の肌が少し肌立ち心となって、板目肌が交じり、乱移が出る。
[刃文]
匂出来、匂口が締り心の腰の開いた乱に不定形な乱が交じる。刃中には足、匂崩がよく所作。煙込の所作
が頻りに焼頭にみられて、乱移と一緒になる。
[鋩子]
乱込、先は表は小丸状、裏は少し尖り心の小丸で、返は表は少し、裏は深い。

本刀は備州長舩銘で、俗名もなく、注文主銘もありませんが、前回の太刀銘の与三左衛門尉祐定と同じく、おそらく元来は中心尻まで棒樋と連樋の掻通であったと思われます。こうした造込は決して多くはなく、むしろ余り見られない造込ですが、本欄で既述済の在光といい、与三左衛門尉祐定(太刀銘)といい、本刀といい、鎺元の重ねで一番厚い部位は棟角であるという共通点が、この三振にはあります。

 

棟角が一番厚いということ(鎬筋の重ねがそれより薄い)は、鎬が高くはなく、言うならば鎬が低いというか、逆高状態となっているのです。これとは反対に〈その一〉と〈その二〉の祐定は鎬が高くなっていた造込ですので(というか、これが一般的な末備前の造込としておいた方が正解)、これは生樋で中心尻まで掻通の作のみに共通の造込でしょうか。こうした点は、私にとってもこれからも十分に注意していきたい点です。

 

さて、本刀にある移ですが、永正備前と天正備前の鉄質が違っているのではと前回本欄に書きましたが、それは移があるのか否かによっても概ね区別できるのではと考えています。移は室町中期までの備前物には必須ですが、室町中期を過ぎるにしたがって急激に移が出現しにくくなる傾向にあります。ただし、全くゼロではなく、急激に移の出現率が落ちてくるのですが、永正頃前後までは移がかかる率がまだあるのです。しかし、天正に近づくにつれて、ほぼニアイコールゼロに近くなってしまう傾向があります。

こうした見所を本阿弥光遜はうまく表現したのかと私は推測しています。本阿弥光遜の説の当否はともかく、末備前とみて移があれば永正頃と捉えても可ということになり、一つの掟ともいうべき極手になります。

 

因みに、古刀の鑑定の真の基(もと)は移にあります。つまり、備前刀(在銘)が古刀の80%を占めるからであり、備前か否かを決めるのは、この移なのです。と、このように書くと、備前以外にも移はあると陰口を叩く人達がいますが、備前に移は必須といったまでで、他国物に移は出ないと言ってはいません。また、移のある刀のみが名刀と言ったこともないので、私の主張をよく理解していただきたいと思います。
(文責・中原信夫 平成二十九年八月)

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