INTELLIGENCE
♮ 軍刀とは・・・
Copywritting by Nobuo Nakahara
所謂“軍刀”という言葉は、刀剣社会において余りいい感じを与えないし、一般社会においては尚更であろう。
さて、この軍刀という二文字のもとに、刀剣登録証の交付を断られて、挙句の果てに破棄処分されたのがかなりの数にのぼると思われるが、これは大きな損失でもあり、こんなバカなことはない。
因みに、登録審査での軍刀の定義を明確に規定したものはなく、登録審査員に尋ねても、「錨」のマークの刻印がある、またはシリアルナンバー刻印、「桜」の刻印、果ては満鉄刀・・・云々であり、それらは日本古来からの鍛錬法によらない、粗製刀であるという考え方である。審査員のこの解釈の基は、昭和二十一年十月十八日に内務省(当時)で開催された会議で配布された文書ににある。(全文は『刀剣と歴史』〈平成23年1月・3月号〉とWEBサイト:asahitoken.jp/contents/ism.html に掲載済)
それには「満州事変以後ニ於テ軍刀身トシテ製作サレタモノハスベテ」とあり、次に「昭和刀・造兵刀・満鉄刀等専ラ武器トシテ製作サレタ日本刀ニ似テ異ルモノ」という項目をあげて美術品としての刀の審査で不合格とするものとして一応は挙げている。
この昭和二十一年十月十八日の会議は重要である。これは昭和二十一年六月三日の勅令を受けて催された会議で、終戦後、初めて刀の審査権が進駐軍から日本側に全て引渡された記念すべき最重要な会議である。ここで示された方向が、後の登録証制度になっていく基である。したがって、現在でも、この昭和刀〜満鉄刀までが登録審査に提出されたら、不合格として破棄処分されてきた例が多い。
しかし、この文章をよく読んでいただく前に、この文書での「専ラ武器トシテ製作サレタ」という文言であるが、昔から武器として製作されたのが刀である。「日本刀ニ似テ異ルモノ」という文言であるが、曖昧な表現で、どうにでも捉えられる。つまりは、進駐軍に対する非常に上手なゴマ化しである。また、「満州事変以後ニ於テ軍刀身トシテ製作サレタモノ」であるが、これは明らかに、戦争の原因であったとする満州事変への捉え方で、進駐軍に対し、負けた日本国軍隊が御機嫌伺いをしたようになった内容である。要は、満州事変以後の製作の“刀”は、“日本古来からの鍛錬方法に拠らないもの”です・・・つまり、ちゃんとした刀・美術品としての刀とは認めませんから処分しますので、御勘弁下さいとの意味である。
昔でいう人身御供にして、それ以外の刀を救わざるを得なかったという事に尽る。これは当時の状況からみて、GHQに対する精一杯のゴマ化しであろう。
しかし、昭和二十六年以降、つまりサンフランシスコ講和条約締結以降の現在、進駐軍は日本のどこに居るのであろうか。もう気を遣う対象の進駐軍はいない。なのに登録審査会では今だに進駐軍に気を遣っている。
これは明らかに自虐的行為としか言いようがない。
このように言うと、おそらく「鍛錬していない刀は日本刀ではない・・・」という審査員は必ずいる。その刀が鍛錬されているか否かは、私にでも自信がない程のものが多くある。これを鑑別するのは非常にむつかしく、刀の鑑定以上にむつかしい。勿論、一見して油焼のものがあるにはあるが・・・。しかし、こうした種類の刀も立派な当時の工芸品。当然、幾種類もの造り方がある満鉄刀に至っては、よく考えられた構造と鉄質であり、登録して絶対に後世に伝えなければいけない。
では、これらの刀に対して今までに登録証を出していないのかというと、そうではない。
前述の文書に「記念品トシテ認ムルモノ ①個人ノ一生ヲ飾ル思出ノモノ、②歴史・宗教上ノ貴重ナル資料トナルモノ」として誠に上手に逃道を作っている。私の師・村上孝介先生は最初からの審査員であったが、村上先生から「登録に軍刀拵(陸軍・海軍の形式)に入ったのを登録に持ってきた人があり、それにはちゃんと記念品として登録証を交付したよ・・・」とよく言われていた。どうして、この前例を利用しないのか。何も村上先生だけではなく、最初の審査員達はこうした事例を必ず残しているはずである。これは前述の当時の情勢とうまい逃道を知っていたからである。
元来、登録審査員は非常勤国家公務員の扱。今は国が地方(都道府県)に登録業務を丸投したので、地方公務員特別職となっているかと思う。だから、県単位で満鉄刀等を通す県とそうでない県がある。国の法律が県でバラバラというのだから、全く形態をなしていない。もっとも、この登録制度の基の銃刀法というのが、大ザル法の典型であるから、どうにでも解釈されるし、仲の悪い二大省庁に股がった大ザル法とくれば致し方ないが・・・。
大ザル法だから、どうにでも引っかけられる。したがって、その大ザル法はどうして出来たのか、それは進駐軍が唯一の原因。であるから、前述のように考えれば、軍刀としての明確な定義が出来ないのに登録を拒否する事はない。うまく運用出来るか否かは、審査員の能力と審査員のサジ加減次第。
最初期の審査員はほとんど出来が良かった。これ等(所謂・軍刀)の刀を×にした審査員は前述の文書に必ず目を通すべきである。もっとも一番目を通して勉強しなければいけないのは文化庁であろう。次に、審査員の一部・頭の固い「軍刀は何が何でも×」にするといううわべだけの表現をタテにして、大事な刀を葬り去る審査員。また、そういう失態に気づかない審査員にこそ、この文書を読んでいただきたい。
従来、軍刀という隠れた意味には「粗悪刀」という意味が大きい。粗悪刀なら戦国期のみならず各時代にも必ず存在する。それを今の審査員は鑑定しているのであろうか。このように書くと、「審査員の立場では提出刀の鑑定はしてはいけないとなっています」と言うだろう。では、審査調書には製作年代の項目が必ずある。もっとも、各県によって違いがあっても、この項目は必ずあるはず。そこに製作年代を必ず書入る。それは立派な鑑定ではないでしょうか。つまり、その書入のある審査調書は公式見解として保存されていて、何らかの折には必ず公的資料として採用されるはずである。
お断りしておくが、某県の審査調書にある項目で、それは確認している。一例をあげれば、製作年代を鎌倉時代と書かれた審査調書を見たが、私はその当該刀が無銘であり、絶対に鎌倉時代の製作とは思えないもので、よくて末古刀の数物であった例を実見している。しかし、この審査調書の内容が公的に世に出たら、私の見方(鑑定)と登録審査員の大先生の見方のどちらを信用するのでしょうか・・・?。
(文責・中原信夫 令和二年四月二十日)