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INTELLIGENCE

♮ 登録審査での“軍刀”の処理について

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

前稿で所謂“軍刀”の定義とその登録審査について述べたが、決論は、軍刀という定義はない。戦場で使えば全ての刀が軍刀になる。

しかし、いやそうではない、洋鉄(素延)油焼などの非日本刀には登録証は発行しないとの意見も出るはずであるが、私の決論は洋鉄油焼であろうが何であろうが審査して登録証を発行するべきが本当であると主張したい。

そんな事をすれば刀剣市場が混乱すると言われるかもしれないが、登録証の代金が公庫へ入る。それと、刀剣市場と民間の鑑定眼は不勉強で頭の固すぎる一部?の審査員の眼よりはるかに確実であり、刀の値段でちゃんと自然淘汰を行っていく。つまり、世に出して自然淘汰に任せればいいだけの事である。

 

私は登録審査において、一流刀工の歴然とした偽銘(現代に刻られている)や錆がホヤホヤの異臭を放つもの(現代の錆付)に堂々と何のクレームもつけないで登録証を発行している現状の方が気がかりである。

少し前、宮入昭平や超有名現代刀工作を狙った偽銘に登録証をつけるような愚行の方がひどい害を与える。海外から帰ったという事での作り話などはすぐに見破れるはず。また、錆付ホヤホヤの一流刀工の偽銘も、元の発見届の段階に差し戻し、登録は見合せて拒否すればいいのである。しかし、そんな事を全くせずに、「軍刀、軍刀・・・」とバカの一つ覚えを吹聴して、自分はこれ程の目利者であると大先生気取りである。本当に何とかならないのかと言いたい。

大体、発見届(輸入は税関の印)の部署にも有料とする(発見届は無料であるから)のが良い。この発見届に疑があれば登録は受付ないでおく。概ね、偽作者は一般人を使って発見届をとるはず。だから、一般人の委任状を持った代理人はいつも札付の輩が多い。善良な一般人は身分証明書を提示するだけで、快よく発見届を発行するべきである。何故なら、同じ一般人が何回も発見届をするはずもないからである。少なくとも疑念のある発見届での付錆(現代の付錆)と一流刀工銘の明らかな偽銘などには待ったをかけて、発見届の部署に戻し発見場所の再調査をするのが良いと思う。

このように書くと必ず、「調書には偽銘と書いています」という審査員もいるはず。しかし、審査員は鑑定をしてはいけない約束であるから、ここでは錆付と発見届人の鑑別をすればいい。一般人は絶対に閲覧不可能な登録審査調書に「×」と書いても、登録証を正式に出してしまえば、無罪放免と同じになる。その責任は誰がとることになるのであろうか。

 

洋鉄油焼の刀は、登録後、市場に出ても、その刀の時勢価格で動く。満鉄刀は立派な作である。当時の高技倆での所産であり、後世に残すべきである。満鉄刀を登録してもらったなどとネットで得意がる人にも困ったもので、登録されて当り前のものである。登録を拒否した審査員の方ががむしろ糾弾されるべきである。

因みに、私は登録証は廃止すべきであると思っている。廃止できる唯一の機会が、サンフランシスコ講和条約直後であった。しかし何らの行動もしていない。これを提唱し中心的役割をしなければいけなかったのは、昭和二十一年十月十八日の会議で委員長になった本間順治氏である。この人はそんな事は何もしていない。しかも、平成に至るまで日刀保の中心人物であったはず。この人が何もしなかった。出来る機会はその時であるというより、その時しかなかった。確かに登録審査発足直後であったかもしれないが、だからこそ唯一の機会であったと思っている。何といっても戦前には登録証はなく何の支障もなかったのだから。

 

ただ、これは個人的な好き嫌いで言うのではない。昭和二十一年十月十八日の会議の委員長という立場からの責任者という意味である。また、本間氏は戦後、刀を救ったという事を自ら公言・捏造する人でもあるから、これくらいの事は提唱してもバチは当たらなかったと思うが・・・。

また、不確かではあるが、以前の「土光臨調」の折には、この登録制度は廃止の方針であったように聞く。この当時は登録審査は各県にとっても重荷であったと思われる。というのは、どうも赤字であったようで、それが今では黒字に転じたので、各県も廃止などは考えられないと考えているのかもしれない。「土光臨調」がつぶされないでいてくれれば、どんなにいいのにと思うのは私だけであろうか。

 

因みに、刀と銃が一緒の登録というのも、昭和二十一年十月十八日の会議の文書をよく読めば歴然と理解できる。

また、終戦直後から昭和21年6月3日の勅令が出るまでの間は、特に刀の没収が日常的に行われた。その前後からは和文・英文併記の刀剣類所持許可証が発行されて没収の難を逃れたケースも多いが、昭和25年末(実際は昭和26年)より現在の登録証制度へ移行。したがって、昭和21年10月の内務省で行われた会議は重要である。また、現在でも登録証と以前の所持許可証が混同されているのが多い。因みに、美術品としての刀は“対物”で、猟銃などは“対人”である点をよく認識してください。
(文責・中原信夫 令和二年四月二十日)

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