INTELLIGENCE
+ 装剣具(小道具)について【第四章】
Copywritting by Nobuo Nakahara
前回までに述べてきた事は、❸の鐔が一番出来ばえが秀れているという私見でしたが、ここに大きな問題が出てきます。それは❶と❷をどの様に解釈するかという事です。つまり、❸を正真とするならば、❶はともかく、❷をどの様に判断するか。はっきりと偽物と断定するか、いや、何枚かの同図の内の一つであるとして、出来ばえは❸よりも不出来ですが、正真として扱うかという事です。
私は❷は厳しい様ですが、偽物と断定せざるを得ません。その理由を以下に述べます。
つまり、❷と❸がここまで図柄が同じとすると、❷の方に少々の悪意を感じるのです。悪意とは何か。それは仿作または写作(写物)を指すことであり、その考え方の延長上には“偽物”という結論がみえてきます。
江戸末期から明治時代にまで生存した金工達は、廃刀令によって生活のほとんどを断たれてしまいました。それ故に、上手な腕を持ちながら、その技を全く発揮出来ず、哀れな一生を終えた金工は多くいたのです。その中でも、私は水戸金工を高く評価する一人であり、強いて極言するなら、例えば水戸金工の中には、大川貞幹(紫峰)の如く、夏雄と全く同技量の金工もいます。他にもかなりいるでしょう。これらの金工達は、当然ですが仿作や写作をした事は十分考えられます。だからといって夏雄やその他の水戸金工が自ら偽作をしたという事ではありません。第三者によって偽物として世に出すべく、いや、正真作として世に出されたと考えるべきでしょう。
私が小道具の分野で尊敬している『新説刀鐔考』という本を出版(自費)された鶴飼富祐氏が同書の中で説かれた「一図一枚」説です。つまり、同じ金工は全く同図の作を何点も作らないという主旨の説です。詳しくは同書を読んで頂くしかありませんが、私はこの説が既成概念を根底から覆すものであって、この方式(説)からみると❷は×という事になるのです。
しかし、この「一図一枚」という説は、小道具好きの愛好家の9割以上、そして100%近い刀剣小道具商にとって、極めて肯定し難い厄介な、しかも商売上での致命傷となる存在なのです。
この「一図一枚」説を私が十二分に肯定する理由として、金工は膨大な枚数の下絵図(設計図)を描いていき、最後に一つの図に絞り込み。最終決定をした図を採用していくという事を本欄で述べてきました。それが、その「一図一枚」説の根拠となっています。したがって、一つの鐔や、例えば目貫などにしても長い製作期間が必要です。鶴飼氏は例えば「縁(ふち)」一つにしても評価されたし、時間的に考えれば一個人である金工として、自身で全ての工程をこなすには限界があるが故に、一作物(揃金具)を工房作として、あまり評価されませんでした。つまり、工房の弟子達に指導・監督して作らせたとして、自身が全てを工作した一点物としての作とを区別されたと記憶しています。当然、私も工房作を一点物(自身作)とは区別して然るべきであると考えています。この様に考えていくと❷は限りなく×と言えるし、❶は残念ながら門前払いに近いものでしょう。それほど、厳しい目で見なければ夏雄あたりの真偽は極めて曖昧になってしまうのです。
(文責 中原信夫)