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+ 小道具の認定書、無銘の極(きわめ)に関して

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

ここ数年前ぐらいからのことですが、日刀保の小道具の認定書(保存・特別保存)の無銘極(むめい・きわめ)について、私にその当否を聞いてくる人達、愛好家がおられます。他団体の事なので、私がいちいち物申す気は無いのですが、本欄をおかりして、私の考え方を述べておきたいと思います。(恐らく1回分の掲載では終らないと思います)

 

概ね、小道具の極(きわめ)というと、古い時代の鍔・目貫・小柄・笄や、後藤家、そして肥後物の作についてと解釈してよいでしょう。

私も以前、知人所有の金無垢の目貫を日刀保に審査に出しました。その結果は単に「後藤」でした。審査後に目貫を受取にいった折、学芸員に「後藤」のみの極について、まず時代はいつでしょうか、そして本家ですか傍(わき)・(分家)ですかと尋ねた所、日刀保の各々の捉え方を説明してくれたので、「そうした今の日刀保の極に対する基準を愛好家は衆知していないので、必ず機関誌『刀剣美術』に見解として明示して欲しい」とお話をしたのですが、今だにそうした見解は示されていない様です。もっとも、審査には会員外の提出もありますから、機関誌のみでの明示は無力です。やはり何らかの措置が必要でしょう。

 

さて、後藤家といっても上限は室町中期頃、下限は江戸末期ぐらいと思われますが、時代設定と本家かまたは傍系(分家)かでは、市場価格も違うし、刀剣商・愛好家の受け取り方も全く異なってくる事は明白です。この様に書いていくと何の事はありません。日刀保の認定書を基準にしての売買を、既に暗黙の了解で是認している事になります。ここに大きな落し穴が存在しており、それを認識していないとアリ地獄に入っていくことになるのです。

元来、日刀保が<貴重>・<丸特>・<甲種丸特>と云われる認定書を発行していた頃の小道具の極は、例えば、後藤家ならば、本家の上三代か否か、そして上三代の時代はあるが本家とは思えないし、個名を限定しえない時は、大雑把に「古後藤」と極めたのです。因みに古後藤とは、上三代より古い後藤ではありません。つまり、初代・祐乗、二代・宗乗、三代・乗真、これが上三代であり、以下本家各代の極は江戸時代として、各々の見所をもって初代祐乗以下、十七代迄を極めるのが掟・鉄則です。ではこうした鉄則というか掟は誰が言い出したのでしょうか・・・。これは江戸時代最初期から伝書として伝わった目利本とされるものからの引用であって、ほとんどは『後藤家彫亀鑑』や野田敬明の『金工・鑑定秘訣』(刊本)、その他種々の目利本(写本)を基にして後藤各代を決定、本家か傍系かをも決めて極を付しただけであり、刀の様にわずかでも江戸時代以前の在銘を基にした訳ではありません。つまり、刀の無銘極とほぼ同様に、ある意味ではコジツケなのです。しかし、古い愛好家達が今の日刀保の極に不満足であるというのは、以上の理由を根拠としたものを理解しないで、唯々、昔の極め権威を感じ、今の極に不満足と不信感を抱くという事になっているだけで、同次元の堂々巡りとなっています。

この様に書くと日刀保から私に、「折紙や加賀前田家の蔵品を、後藤三人極の作品を基にして極めております・・・」と抗議をしてくるかも知れません。

確かに『後藤家十七代』(三人共著)をみても事細やかに掟・特徴をしるし論じていますが、所詮は七代・顕乗や覚乗、そして九代・程乗あたりが理屈をこねまわし、抱主の百万石前田家の権勢を考慮した極などは、学問的には甚だ脆弱なものでしょう。つまり、正宗を偶像化した本阿弥家に同じ事です。ただ、本阿弥家全てが悪いのではなく、正宗を苦しまぎれに作らざるを得なかった理由が大問題なのであり、本阿弥家の功績は金字塔である事に変わりはありません。私は九代・程乗は超名人だと思うし、私の一番好きな金工です。超名人・超腕利だから大問題となるのです。凡工なら何の影響もないでしょう。つまり、上三代などという化物を作りあげた・・・上三代は偶像といってよく、本阿弥家の言う正宗に匹敵する大化物なのです。

 

その程乗が江戸最初期に作り上げていった全部ではありませんが、かなりのマヤカシに現在に至るも振り廻されているという事に、どうして気付かないのでしょうか。戦前の桑原羊次郎氏や小倉陽吉(網屋)、そして『後藤家十七代』の三人の著者、そしてそれらを範にしている現在の審査員達は、いかにも柔順で温和ですね。私の様な破天荒なエイリアンの如き考えはカケラも持っておられないようです。恐縮ですが、私の師、村上孝介先生も私と全くの反対の一人かも知れません。身内以外を攻撃して身内を攻撃しないのは片手落ちというもの。村上先生は大の小道具好きであった事は、古い人達なら十分承知しています。政随の鞍馬山の鍔、宗珉の一輪牡丹の小柄等々、後に重要美術品指定になったのもあります。その村上先生の小道具の極め方を横で見ていた私ですが、それは前述の如く型・掟・特徴通りに筋を全く外されない極をされました。

村上先生は全てといって良い程の古い写本(目利本)を集め、読破し、写しておられました。それを基にした極は、恐らく神業に近いものであったと、私は痛感しています。しかし、その従来の掟・特徴がある程度の捏造であったら、結果はどうなるのでしょうか。これを考えてもらいたいのです。

今日の日刀保の学芸員の極は、まさに“サラリーマン的な極”であり、どこから文句が来ても言い逃れ出来る様に極めています。しかし、従来の極そのものを是としている限り、サラリーマン的極には必ず不満・不信がつきものとなるのです。

 

大体において古い時代の金工の流派なんてものは全くわからないのであり、それを無理やりに流派・個名まで極めろというからアリ地獄に陥るのです。昔の伝承は無視できないというか、無視はしないが、鵜呑みにしてはいけません。後藤上三代があったとする所から危険域に入るのであり、江戸時代以前は不明として、およその時代推定をするだけが関の山。刀剣商・愛好家は「後藤傍系ぐらいに極めて欲しいが、せめてそれが駄目なら古金工は止めてください。値が下がるから・・・」というのが、まさに本音でしょう。ならば、後藤祐乗ならぬ後藤の幽(霊)乗なん事になったら・・・どうしますか?

『美術品の鑑定は、要は製作年代のみに尽きる。』
(文責 中原信夫)

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