INTELLIGENCE
+ 小道具の歴史
Copywritting by Nobuo Nakahara
前稿で古い金工の流派(或いは流派といえる様なものではないかも知れない)などは、不明でわからないと書きましたが、これは私の本音です。〈無理に区別しようとするからイケナイのです〉。後藤祐乗が上手で本当にいたとしても、恐らく極めて小規模な職であったと考えています。それを百年程たってから権威づけに偶像化しただけであって、名門・名家の家系図作りとほぼ同じです。ただ、後藤家を誹謗中傷する気は全くなく、余りにも全てを鵜呑みにし過ぎぬ様にと警告しているだけのことです。因みに、私は古い後藤とされている作は大好きなものですし、九代・程乗は前述の通りに好きであることも再度付け加えておきます。
何故に古い後藤や後藤が好きかというと、作品の図柄の取り方、デッサンに全く無理がなく、最少の模様図柄で最大の効果を出している点が、小道具の基本であるということに尽きます。従って江戸末期に近づくにつれて後藤家の作品は定形化していくのですが、これを嫌う愛好家も多いのです。いうならば後藤家は定食の豪華な料理でありコース料理。それと反対なのは後に派生した町彫であり、それらは創作手料理といっても良いでしょう。
では本論に入ります。古い金工流派ですが、恐らく狭い地域で家内工業的にごく少人数(親子)で金具全般を作っていたと考えれば、一切不明の理由がわかります。その中でも後藤祐乗に擬されるべき人物は確かに居たかも知れません。それが時の権力構造に組み入れられて、実像から虚像・偶像へと作られていったと推測すれば、従来から言われる美濃の出身で…云々…は何となくわかる気もします。ただ、本当に三代続いたかは全く不明。しかも、九代・程乗の頃に先祖の極や掟を作り上げているフシが多くあり、この辺が一番の?でしょう。
また、一番大事な事は赤胴の色の点ですが、金(きん)をある程度自由に使えないと、あの烏の濡れ羽色にはならないとされています。従って、作品の『黒さ』で本家が傍系か、はたまた一地方金工かを決めてきた掟は、これにも一理あります。
家内工房あたりの経済力では、金は中々入手できません。入手するなら、その地方か中央の都の権力者に取り込まれないと、金は自由に入手出来ないのです。後藤祐乗は室町将軍・義政の庇護により、黒色鮮やかな赤胴を作れた…なんて事を、どこで見たのか知りませんが、いかにも定説の様に解説する先輩がいました。これも従来の説や掟を鵜呑みにしている典型です。白髪三千丈のたぐいでしょうか。そもそも、生没年がわかっている事や、肖像画があるなんてこと自体が怪しいのです。全くといっていい程にわからないのが本当ではないでしょうか。だから、程乗あたりが、せっせと作り上げたと考えられるし、また、江戸幕府や前田家への手前、そうしなければ立ちいかなかったと考えた方が合理的です。
こうした推測を私が発言し始めたのは、ある種の在銘作品を見たからでした。諸本にもよく掲載される「紋祐乗 ○○」とある手です。この「紋祐乗」というのをどの様に解釈すればよいのでしょうか? 紋というからには、据紋(すえもん)でしょう。しかし、据紋ではなく、地板に紋を打出した作にまで「紋」とされたら収拾は出来ないだろうと思います。
昔、尚友会という会があって当時の有名な小道具専門の先生方を招いた鑑賞会がありました。その最初の頃に、この「紋」という事に疑問を感じていた私は、某先生に質したら、形通りの答え、つまり「紋だけを祐乗が作ったので、それを取り外して後代の工人(後藤本家)が小柄なり、笄に作り変えたのです・・・」との話。そんな事は最初からわかっています。私が聞きたかったのは、例えば「紋祐乗 程乗」の龍の図の笄があったとしましょう。つまり、その龍だけは祐乗作で、あとの本体は程乗が作ったという意味。では程乗はその龍の紋自体を、笄から外したのでしょうか、それとも小柄から外したのでしょうか。外したのなら、何も祐乗が全部作った小柄や笄を オシャカ にしてしまわなくともいいではないでしょうか。九代作より初代作が良いに決まっています。単純にこの様な疑問も必ず出てくるのです。しかも、「紋○○」という形式の作がかなり多く存在します。中には偽銘もあるでしょうから、それを除外したとしても、この「紋」という点には全く釈然とする解答は今迄に出会っていません。当然、紋だけを外す前の作は無銘であった筈で、でなければ在銘部分を含めて新規の作に組み込んだら、「紋」だけよりか、どれだけ信憑性が高くなるかなのです。とすれば、元の祐乗作の作品も当然無銘であった事になり、程乗が勝手に祐乗作に極めた作から紋だけを外して、作り直した事になり、要は程乗が一番のポイントになります。拡大解釈ですが、「紋祐乗」という意味は、紋が祐乗風ですよ!というぐらいのもの、つまり祐乗スタイルがということでしょうか。だから、掟・特徴の捏造であると述べたのです。
ここまで書けば後藤ファンから非難される事になりますが、むしろ、この点が一番重要なポイントなのです。いづれにしても、無銘を極める時に、余りにも従来の様に流派中の作者の個人名を出すことは、私は賛成できません。従って、およその時代を認定書に明記するべきではありますが、後藤とのみの極は余りにも不親切すぎます。
それから、抜け孔が多くあって、“垂直な肉取であれば、古美濃”という極も無責任です。垂直に切り立った模様が美濃彫というのは誰が言い始めたのでしょうか。根拠はどこにあるのでしょうか、未だに不分明。江戸中期の光仲・光伸在銘に照らしての作風上の特徴といわれますが、現存品(古美濃極)が多いことも?であり、いくら京都と関係の深い美濃であったとしても、金無垢の作は果たして考えられるでしょうか。
古い作は後世の様に、形式も不分明であり、決まった特徴もまだ発生しないと考えた方が合理的で、それだから鑑定に苦労しているのです。金属の非破壊検査が確立される事を切に望む次第です。
(文責 中原信夫)