INTELLIGENCE
+ 拵について〜その1
Copywritting by Nobuo Nakahara
刀を収める鞘や柄、つまり拵についての話は、仲々難しいものがあります。その理由は唯一つ、古い時代の拵の完存例が極めて稀少であるということです。
拵の製作年代というと、例えば幕末あたりの時代に作られた拵は、かなり多く存在しているし、また完存していると考えられがちですが、私は決して多くはないと考えています。確かに、鞘はその時代かもしれませんが、小柄等は取り変えられて別物が入っていますし、柄前と鞘とは別物、つまり後家(ごけ)となったものを適当に合わせていることが多いのです。これが実状でしょう。
こうした所業は人間の成せる業であって、明治に入っての廃刀令が一層拍車をかけたと考えられます。加えて40年以上前の刀剣ブームも然りです。
つまり、江戸末期以前の完存の拵などは、恐ろしく稀な現存であり、大名家伝来の拵であっても金具(小柄・笄・鍔・縁)などが別のものと入れ変わっていると考えた方がよい場合も決して少なくありません。
元々、一般社会的には一本の刀・脇差などに一つの拵しかないと思われがちですが、そうではありません。大別して、公式とプライベートの二種があるはずで、特にハイクラスの武士になればなる程、その確率は高くなるはずです。
したがって、数百万本の刀剣に何種類もの拵に装着された金具は膨大な数量となることに・・・。その結果、部分品の一つといえる鍔や目貫・小柄・笄・縁頭などが、バラバラにされて売買の対象となりますが、そのバラバラ部品が全く用をなさないかというとそうではありません。それら一つ一つが愛好の対象とされてきたのであって、まさに日本文化の特異な点でしょう。
もちろん、製作時から一度も拵に装着されることなく伝来した金具も極めて稀にありますから、これはこれでまた愛好されていることは、ご承知の通りです。
さて、ここで強調しておきたいのは、ちゃんとした拵は出来るだけ保存し、愛好してほしいということです。もちろん、明らかに取り合わせの拵は後世に間違った事実を伝えることになりますので、その旨を明記するか、望ましいのは柄前と鞘が古い製作ならば別々にして、各々を愛好することが本来の形でしょう。
ではどこを見て取り合わせの拵と判断するのかという事になりますが、その前に大事な点を認識していただかないといけません。それは、どの時代(といっても幕末以前)でも、一定の決まった形の拵はないという点にあります。つまり、高級(上手:じょうて)な拵になればなる程、独自(特別注文品)のものが極めて多くなるからなのです。下級の拵(下手:げて)は同形式の形や同図柄の金具を使用していることが殆どで、つまりは大量生産品(数物)です。例にとるなら、真鍮地の泥波(どろなみ)の図と称する縁頭などが西垣勘四郎と極められて流通していますが、これなどは殆どが数物です。つまり、定形化(同図柄が多くある)しているのは時代が下るか、下手か、後世の写物か数物粗製濫造品ということになります。
では、どこを見て取り合わせ拵か否かを見極めるかですが、鞘の鯉口と縁の形を合わせてみると大体わかるケースが多いことに気づきます。縁の形に合わせて鞘の鯉口を形づくるのが一応の掟であるとされます。しかし、柄についている縁が、本来からの縁であるか否かから詮議しなければなりません。これは仲々難しいことです。少し見方を言うと、縁の深さを見るということです。つまり、柄下地と縁の天井金(てんじょうがね)の間がピッタリとしているか否かと言えます。ただし、これも後世すぐ改変可能であって、縁の嵌っていた柄下地の部分に改変がなされていないかをよく見極める必要があります。一般的に縁は極めて簡単に取り去られて、別の縁を嵌められているケースが多くあり、注意を要します。また、柄下地の木は長年の間に縮む可能性が大で、縁がガタつく事がありますので、ガタつくだけでは後補の縁とは限らない時もあります。却ってそれでいい場合もあるのです。
それから、拵の取り合わせで一番多いのは、鞘の長さと柄前の長さがアンバランスなケースが意外に多いことで、前述のように上手の拵には類例のない形式も稀に存在するようで、一概には決めつけられません。また、時代や地方色(藩によるお国振り)が各々に違っています。
以上、まだまだ述べたい事はありますが、私の申し述べたい事は、例えば古い柄下地だけでも残しておけば、昔の柄の形や細工方法が推測出来ますし、割れた塗鞘だけでも肉置や塗方の見本には十二分になり得るのですから、ぜひ保存して欲しいものです。
(文責 中原信夫)