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INTELLIGENCE

+ 縁について〜その1

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

縁(ふち)は極めて重要な金具ですが、その前に拵の基(もとい)となるものであるということが、今はあまり語られず衆知徹底されなくなりました。

拵を新規に作ろうとすれば、殆どの愛好家は鍔・目貫・小柄・笄などを探し回って、縁頭という金具は、どちらかというと後回しにしている例が多いものです。しかし、これは逆であって、まず縁頭の縁を決定した後に、他の金具をきめていかなければ、鞘の形状が決められず、切羽も決まりません。縁頭の頭はその次に大事ですが、頭は最悪の場合に角(つの)製にすることも出来ます。これで柄の形状(柄形/つかなり)が生まれてくるのです。

当然、有名な昔の拵(本科)の写物をする時などは、ここに重点が置かれなければいけないし、有名な拵に使用された金具と同一の古い金具などは絶対に無いといっても過言ではないはずですから、本科の拵と全く同寸法の金具を新調しなければならなくなります。本科を手にとって金具の法量等や、柄の肉置、鞘の肉置など詳細に記録をとって再現したつもりでも、仲々うまくいかない例が多く、それほど写物は難しいのです。

 

さて、今回は縁の構造について、あまり語られないというか、全く触れられなかった点を私の今迄の経験から得たお話をしてみたいと思います。

では写真Fを見てください。縁を真上からみた写真ですが、縁の腰金(こしがね)を薄い金属の板(おそらく山銅に近い)で着せ(包み込む)ています。そしてその折返した薄板が天井金(てんじょうがね)の周囲にあります。現在は右側のその薄板が少し破損していますので、着せているのがよくわかります。

では写真F-1を見てください。これはFの真裏側から、つまり縁の内部をやや斜目に見たもので、中心櫃の棟方の部分がわかります。また、天井金と腰金との接着が見てとれますし、その腰金の内側のところに、中心櫃の中心線を少し右側へ外れて、細長い板状のものが接着されています。これを繋金(かいがね)または力金と言います。これは小判形状に折り曲げた腰金の接着部分を補強するために、腰金・天井金と同材質のものを臘付(ろうづけ)したものです。

 

さて、どうして腰金の全体に薄板を着せるのでしょうか。勿論、この薄板には格子状の模様がありますが、装飾だけなら手間のかかる着(きせ)などをしないでも十分に役に立ちます。この薄板は腰金・天井金より黒色が強く、おそらく少しは赤銅に近いものであろうと思われますので、表面的に赤銅色を見せたかったのかと存じます。それと、この薄板の折返が天井金の周りにありますので、天井金の表面とほんの少し段差が出来ていまして、切羽がフワッーと、そしてピッタリと密着するはずです。よく腰金(着せてはいない)と天井金の表面に段差(ほんの少し)がある縁をみますが、これと同じ効果を狙っていると考えられます。

また、内側にある力金を見てください。本来なら腰金の接着部所は縁の中心線(つまり中心櫃の中心線でもある)で接着するはずですが、F-1では右へ少しズレた部所で力金を入れています。また腰金に着せた薄板も、この力金の真裏で接着しています。こうしたズレは後世の縁には見当たりません。というのは後世(江戸中期以降と思われる)は腰金も天井金も共に分厚い材料を使ってありますので、Fのような薄い材料(約1ミリ弱)ではないのです。したがって、F-1の力金の位置は縁にかかる衝撃から縁の破断を極力防ぐためにこの様な方式(後世の縁は真中に力金があります)を採用した上に、尚かつ、素銅でさえも倹約して作ったということで、それはある程度古い時代に作られたという推測が出来るのです。

 

ただし、江戸時代にも数物が極めて多くありますが、それらの数物は、Fのように腰金に薄い板を着せたりはしません。何故なら手間がかかるからで、材料も手間も極力省くのが数物であり、同時に大量に作られますから、同じ様式・模様のものが多く現存することになります。ただし、新しい数物は一見すると古く見えるのですが・・・。したがって、古い作と時代が下がる数物、古い時代の数物があります。Fはある程度古い作と見るべきですが、そんなに特別な入念作ではないだろうと思われますが、古いもので入念(特注品)は元々少ないと考えるべきです。また、古いと思われる縁に最初から繋金がないと思われる作例もありますから、こうした点が製作年代の推測を困難にしています。しかも、古い時代であれば、各々の地方色というものがあったはずですから、一層難しくなります。これを一挙に解決するために金属の科学的検査法の確立と低料金化が切に望まれます。
(文責 中原信夫)

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